『コクリコ坂から』を観て来ました。


ところでローソンのコロッケうまいっすね。二人を真似て帰りに食ってきました♪(関東期間限定のコクリコ仕様の包み紙ではありませんが)
…恥ずかしいけど合計3回見に行きましたw
一回目はみんなが嫌いな吾郎タンが監督だと聞きめったに映画へ行かない私にも好印象だったのと、好きな歌い手さんが再び主題歌等を担当されてしかもニコ生で曲を実際聞いたらかなり素敵だったので、8月ごろにはジワジワと気になりだし「これは観に行かんとどうにもならん!」と思い、行きました。

↑是非聴いて欲しい!
ちなみに第一印象は漫画の『少年ノート』っぽいカワユス!キャラクタの雰囲気が私なんだか久しく好感触だったわ。

二回目はなんか知らんけど良かったのでもう一度ちゃんと味わいつくすつもりでした、が、割安料金の場所を選んでたら雨のなか歩き通す羽目になった上に、クリーナーを忘れて曇っためがねで観たせいか消化不良。
だったので三回目は今日行って来ました。…関係ないけど慣れない10cmヒールはいてったらエスカレベーターの速度が速すぎて乗り込めず上映の待ち時間をウロウロ出来ませんでした。(箱のほうのエスカレベーターは密閉されるのがキライなので敬遠)(罠)(でも帰りは前のひとに合わせて踏み出したら乗れました)(罠回避)
で、3度観たらそれまでアレコレつけてた注文もといケチを言う気がせず、演出がしっくりきた感じで、まあ本当に私が集中しきれたかどうか分からないけどようやっと満足です。

コマ数が多くテンポが早い構成だった割にゆったりと味わえて、しみじみ楽しめる一品でした。


ストーリーを公式から抜粋。

1963年、横浜。
港の見える丘にあるコクリコ荘。その下宿屋を切り盛りする16才の少女・海。彼女は、毎朝、海に向かって、信号旗をあげる。旗の意味は「安全な航行を祈る」。タグボートで通学していた17才の少年・俊は、海の上からその旗をいつも見ていた。翌年に東京オリンピックを控え、人々は古いものはすべて壊し、新しいものだけが素晴らしいと信じていた。そんな時代に、横浜のとある高校で、小さな紛争が起きていた。古いけれど、歴史と思い出のつまった文化部部室の建物、通称カルチェラタン。それを取り壊すべきか、保存すべきか。そんな事件の中で、海と俊は出会う。俊はその建物を守ろうと学生たちに訴える。海はその建物の良さを知ってもらおうと大掃除を提案する。徐々に惹かれ合うふたりに、ある試練が襲いかかる。「嫌いになったのなら、はっきりそう言って」「俺たちは兄妹ってことだ」「どうすればいいの?」自分たちは兄妹かもしれない。それでも、ふたりは現実から逃げずにまっすぐに進む。そして、戦争と戦後の混乱期の中で、親たちがどう出会い、愛し、生きたかを知っていく。そんな中で、ふたりが見出した未来とは——。

公式ネタバレてるw
原作は読んでないけど時代を高度経済成長期の真っ只中に固定し直して描いたということで、現代性を排除した映画となった様子。インタビューを読むと舞台の美術背景などにあまり時代考証はこだわってないらしい。あえてイメージ先行。
コクリコ坂はノスタルジックというよりはクラシックな色調で、何か硬質な雰囲気がほどよい親しみを与えてくれた。手嶌さんの歌と合ってるわぁ。カルチェラタンは描き込まれてる割にザックリしたデザインで光の具合などに重点が置かれてるそう。その後お掃除で変貌することになるけれど、どちらも深く褪せた原色のような奇妙な味わいがあったわ。素敵な魔窟v
さて、そのカルチェラタン存続の危機を俊や水沼と共に憂う海(通称:メル)。彼女はお掃除をすることで状況に変化を期待する。男性ばかりの巣に女性が掃除を〜という流れにジェンダー批評的視線は当然向かれるだろう。たしかにコクリコ荘は原作と違い(メルの弟・陸がいるとはいえ)北斗が女になったり、カルチェラタン=男/コクリコ荘=女、の二項対立図式を取っている。これはいくらでもステレオタイプを強められる材料だけれど不思議と私がそう感じなかったのは、「理想の女性像」を企画側から求められても最初にまず「いそうな女性」を描いてしまう吾郎タンの気質ゆえなのか何なのかw

そこらへんは深く追求しないが、私自身としては監督自身が脚本に付け加えた「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?人が生きて死んでいった記憶をないがしろにすると言うことじゃないのか!?新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」という台詞に顕著なテーマ性を感じる作品となった、・・・のは私が男だからなのかね。
というか「埃も文化」っていう他のカルチェ住人の言葉に呆れたり、大掃除の際に「捨てるかどうか迷ったときは捨てろ」という俊や水沼だけど、私なんかは本当無駄に過去のものを捨てられない性質だから前後の台詞に矛盾すら感じて、汚部屋体質を意固地を発揮してしまったw

・・・けれどそうね、俊たちにとってカルチェという建物は象徴であり、その象徴が抱える歴史を伝え守る(忘却に抗う)ことに本懐をおくのであって、すべての過去にしがみつくという姿勢ではないのかもしれない。それは昨今ノスタルジックな表象のうえで消費されがちな「昭和」や「60年代」を、しかし現代の不況とその責任に関わる団塊世代を安直に肯定できない(とはいえ全否定してしまっては実際かれらの幸福をリアリティに描けないとする)吾郎タンの葛藤に重なった結果とも言えそう?

「あのころはよかった」「よくなかった」。どちらもこうとは言えない時代をこの作品はそれなりに批評的な態度で示したのかもしれない。

私がお話の主題たる古いものの破壊と未来にこそ着目した理由はこうした時代への批評性からではなく、主題がかれらの恋愛描写に深く根付いているから。
最初にネタバレしておくけど、メルと俊の父親は実は、違う、はず(後述)。知らない人には複雑な話だけど(メルの母親である)良子の説明によると、二人の父親とされた澤村雄一郎には、小野寺と立花、という親友がいた。その中の立花という男が俊の実の親というのだ。が、立花は俊が生まれてすぐ事故で死んで母親もすでにいない。俊の行く末を案じた澤村は自分の子どもとして届けを出し、さらに当時子どもを欲しがっていた(俊の今の両親である)漁師夫婦に俊はもらわれることになったのだ。戦争後にはそういうことが沢山あったのだそうだ。

異母兄妹だと知った二人はとても戸惑っていつも通りを装いながらギクシャクしていた。海視点でもその戸惑いは深刻に描かれている。孤独、そう、彼女は俊との非倫理的な恋愛感情に戸惑う中で、“自分の性(愛)そのもの”に言いようのない不安や孤独を抱いていたのではないか。
最近ちょくちょく「ジブリでもそろそろクィア・セクマイが描かれてもいいはず」といった声を目にしたけれど、私には『コクリコ坂から』はクィアを描いた映画となってるように思う。
「私が毎日毎日旗をあげて、お父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに風間さんを贈ってくれたんだと思うことにしたの。私、風間さんが好き。血が繋がっていても、たとえ兄妹でもズーッと好き」
そんな思いの彼女だったけれど、3度観てよくよく考えると、良子から聞かされた昔話は、血が繋がってるという唯一つの不安を払拭してくれる告白だったに違いない。
…であるならメルが事情を聞いた後に「でも、もしも風間さんがお父さん(澤村)の本当の子どもだったら(どうする?)」とわざわざ母に問い改まる必要はない。にもかかわらず「もしも」と問う。すると母・良子はこう答えた。「あの人の子供だったら?・・・・・・・会いたいわ。似てる?この写真と」。
そしてメルはこらえきれない様子で涙を流した。その涙は何かとてつもない怖さから解放してもらって安堵したような、すべては言えないけれど一人で抱え込んでいたものを温めなおしてもらえたような、そんな涙に見えた。
まあ、澤村と俊の姿が何となく似ていたから疑念を払拭できなかったという理由もあるかもしれないが、あえて母に問うたのは、きっと兄妹を愛した自分という存在にメル自身が恐怖をしていたのかもしれない。それは孤独な憎悪を伴う恐怖。女でありながら女を愛したときのような、自分が小児にばかり想いを寄せてしまうと気づいたときのような、そんな恐怖だったのではないだろうか。そうしたとき人は孤独だ。自分自身に対して孤独だ。恋や性に基づく欲望に対して孤独だ。相手との関係に、だけではなく。
自分の親の生んだ子を好きになって、自分自身がなにか穢れてしまったのではないか、寄る辺ない場所に迷い込んでしまったのではないかという実感は、内側に曇って巣食う。
メルはこの告白の前夜ゆめを見た。まだ帰らぬはずの母が朝餉を作り、死んだはずの父が自分を抱いてくれる。澤村雄一郎の声は多分俊と同じ俳優がアテレコしている。立花の子である俊だけれど、彼は確かに澤村(メルの父親)と重ね描かれている。ずっと恋しく想ってきた父親の邂逅。それはただ懐かしむだけのソレであっただろうか?複雑な心境があったはずだ。
良子はそんな孤独を抱えたメルに、澤村の息子だとしても会いたい、と言った。父の息子に恋したのかもしれない自分、その相手を邪険にしないでくれたこと、似ていても構わないのだと、涙した自分を微笑んで抱きしめてくれたことは、きっとクィアな自分の欲望を守ってくれる心地だったろう。


話を戻すが、カルチェ存続のため理事長に直訴しに行った際、なぜ理事長はメルの「皆でお掃除しました、是非見にいらしてください」発言と、父・澤村が朝鮮戦争時にLSTに乗って戦死した話だけでカルチェの視察をあっさりOKしたんだろうと思ってた。今もよく分からないけれど、この作品は古いものの破壊に歴史の忘却を重ねてる。
↑のアートワーク集のインタビュー記事から引用。

朝鮮戦争は、太平洋戦争の終戦から5年後(1950年)に起きるのですが、それが隣の国で起こった関係のない出来事では全然なかった。まだアメリカの占領下にあり、日本人船員が大量に物資輸送に関わったり、港湾労働者や技術職の人間もかなり朝鮮に行っています。でも、朝鮮戦争への関与というのは公式文書としては公開されていない。そうすると、本当に知っていなければならない自分たちのいちばん大事な歴史というのは、戦国時代や明治維新のことではないと思うのです。自分が知っている人たちの範囲の歴史がいちばん大事だと思う。でも、そこをまるで知らない。自分が歴史観を持たないというのは、自分たちのルーツをどこかに捨ててしまうのと同じことではないかと思う。現在と近未来がよければいいんだと、どうしてもそういう思考になってくるので、それがここ最近の行き詰まり感の原因ではないかと随分思いました。そういう意味で、改めて朝鮮戦争のことを自分がまるで知らないと思いました。【監督・宮崎吾郎

やや不可解ではあるが、忘却される歴史を救い上げる役割である理事長が、朝鮮戦争の歴史を背負ったメルの話を聞き、歴史の象徴たるカルチェの視察に赴く決意を固めたというのは物語上の必然なのかもしれない。まあ、なんとなく学生らに面会すると決めた時点で大方の腹積もりはしてたような気もするのだけどね、理事長。

そしてラストのシーンで、澤村たちの中で唯一生き残った小野寺が現れるわけだが、彼も涙を溜めた笑顔で「立花と澤村の息子と娘に会えるなんて嬉しい。ありがとう。こんな嬉しいことはない」と亡き旧友の関係性を想起させる。三人が共に生きていた頃に写真を撮ったシーンは脚本になかったそうだが、親世代の絆はどこか今のメルや俊(そして水沼も何となく間接的に?)の絆に重ねられ、ループする縁のような印象を与えてるかもしれない。

そもそもコクリコ荘で共に住む祖母・花や、母の良子は、メルの成長した未来の姿として擬似的に描かれてるそうだ。世代をまたいで繰り広げられる今作品の恋物語は、暗示的に前世代の関係性のなかにある。
そう示唆されることで、忘れられる歴史(カルチェ)の存続とメルの兄妹愛は奇妙に折り重なってさえ見えてくる、と私は感じた。かれらの恋は、親たちからの歴史を繰り返し忘却させないための種みたいに、この作品の主題を描く核として存在しているのかもしれない。

父の手の温かさ、その父からの贈り物とされた俊、その俊のカルチェを守る想いがメルと引合わせた。そしてメルが健気に掲げ続けた信号旗に託された想いは<兄>へとクィアーに結びつき、小野寺の「ありがとう。友の息子と娘に会えて嬉しい」という肯定で締めくくられる。そこでようやっとメルは父の沈んだ海原から、コクリコ坂のある丘へ上がれるのだ。

いつもと変わらないように見えるコクリコ坂の朝だけど、もう何かが違う。もしも俊が兄であっても変わらない、兄であっても祝福される恋を胸に、懐かしい父だけではなく彼へと、信号旗を掲げられるのだから。