これはひどいホモフォビア!

恋はあせらず (ラキアノベルズ)

恋はあせらず (ラキアノベルズ)

ラキアノベルズだから出版社はハイランドです。つまり倒産。父さん、倒産したよ。お買い求めの際は古本屋で。
短編集なんだけど、2話目にあたる「純愛ポートレイト」についての考察ー。頭悪いからほにゃららとしか言えないけど、なんかひっかかったのでとりあえずレビュー。

今回はあまり紹介はしません。問題点だと思った点を書くので、書評とは違いますので。
ではネタバレと酷評(?)注意。


篠原亮祐という攻めと井上博巳という受けの話。篠原は写真を勉強してる学生でコンビニでバイトをしている。井上はオフコンシステム開発に携わる会社に勤める美丈夫サラリーマン。
このふたりは、篠原のバイト先で親しくなる。社内でいやがらせに苦しみその日酒を煽っていた井上。コンビニで酔い止めを購入して篠原の立つレジへ行くのだが、その篠原の前で吐いちゃう。それで、メンクイな篠原は前からこの美人を観察していたわけだが、そんな彼が目の前で酔って苦しんでるので介抱してやる。それがきっかけで、篠原に頼み込まれ彼の写真のモデルをやることになった井上。

篠原は「性別種別物体問わず、とにかく「きれいなもの」が好き」な人である。そんな彼はこの社会の中ではバイセクシュアルに分類されるだろう。自身もバイセクシュアルを特に隠してないとのことだ。
で、この話は篠原視点で描かれてある。それで、篠原は井上のことを好きになるのだが、男性経験のないノンケの井上と距離を保ちつつ親しくなっていくのね。

で、話は変わって。篠原には同じ学校で和美という友人が居る(ちなみにこの人、篠原に対して「あんた顔さえよきゃどっちでもいいってその性癖、いまのうちになんとかしなさいよ、病気持ちになったら縁切るからね」と重度のバイフォビアを語っている)。その和美だが、『ROOT』という店の常連さんだ。ROOTは和美の叔父が店長をやっており、その壮一がゲイでパートナーのヨウジとふたりでその店をやっているのだ。

 「[・・・]ところで、今日は?ここんとこROOTにも顔出してなかったし、行かない?」
 ROOTというのは和美とよく行く店の名前だ。こじんまりとしてはいるが出される酒も流れる音楽のセンスも篠原には心地よく、行きつけになっている。和美の若い叔父である壮一が店長なのだが、その壮一がゲイで、パートナーのヨウジと二人でやっている店なので、二丁目でもないのにその手の人種がよく集まる。篠原や和美のようなアーティストの卵も多く、無論ストレートな人種も出入りするので、あまり退廃的な雰囲気もなく居心地がいい場所なのだが。
 [・・・]
 「[・・・]あーまったく・・・カメみたいな顔してなに勘違いしてんだかさ、昨日なんかヨウジくんのお尻触ってたわよ。風俗じゃないってのまったく」

アーティストの卵やストレートが来ると退廃的にならずに済むらしい。それはよかった。90年代じゃないんだから最近のゲイバーがどうなっているのかわからないけれどねー。

この店で最近セクハラをする客が出てきていて、常連や壮一、そしてセクハラを受けてるヨウジも迷惑してるらしいのだ。
それで、じつは井上が受けてる嫌がらせは、どうやらこの店でセクハラをしてる人物と同一人物の犯行で、名前を亀山といい、井上の上司だったのだ!(しかし。実際そうだったのだが、篠原が取った確認というのもおざなりなもので、状況証拠しかない。けれど和美の話と、井上の話を聞いた上で亀山がその犯人だと確信している。)

そーちゃんこと壮一店長も、何度もお断りしているそうなのだが、追い払われても亀山は一向に懲りずにむしろヤクザまがいの因縁を付けてくるのだという。
[・・・]
そして、我慢できないと足を踏みならす和美に、煙草をふかした篠原は提案する。
 「・・・・・・・・・・来れなくなるように、しよっか」
 「ええ?」
どうやって、と和美が怪訝そうな顔を上げるのに、篠原はにやりとくわえ煙草で笑う。
 「コレで。・・・・・・ヨウジくんにもちょっと協力してもらうかな」

篠原はセクハラ現場を自分のカメラで押さえようと企んだのだ。
そして実際それは「成功」を収める。亀山以外にROOTにサクラを呼んで置き、その中で亀山がヨウジにセクハラをする現場を篠原が撮る。みんなで亀山を嵌めるのだ。
ここからが醜悪。

 「なんっ・・・・・・なんだよ!?」
 「―――パパラッチでえーす・・・・・・」
 泡を飛ばさんばかりの勢いで食ってかかる亀山に、篠原は不遜な表情で笑ってみせる。
 「ばっちり撮ったよ、ホモセクハラ。Kシステムの亀山課長さん?」
 煙草をくわえると、壮一が火をくれる。ゆったりと吸いつけた後、憐れな男に向かって言い放てば、酒と怒りに赤らんでいた顔はついで青ざめ、まだらな紫になる。
 「なっ・・・・・・・・・なっ・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・外で話そっか」
 [・・・]
 「ふ、ふざけるな、金なんて出さないぞ!」
 「――――いらねえよそんなもん」
 声のトーンを下げ、笑みをほどいた篠原は、くわえていた煙草を指の先でもみ消した。
 「たださあ、これ、会社の前にばらまこうかなあと思って」
 「なっ・・・・・・や、やめろ!」

えーと、そういえば最近もこういう恐喝事件ありましたね。わしのエントリ、http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070314/p2を参照されたし。
それと、セクハラの事を安易にホモセクハラとセクハラに分けるのはどうなんだろう。『逆DV』みたいになんか変だ。どんな形式であろうとセクハラはセクハラなんじゃないのかな。分ける意義はどこ?

[・・・]
 「―――井上博巳」
 ぽそりと言うと、亀山の腕が止まった。
 「知ってるよねえ?あんたがくっだらねえ嫌がらせしてる張本人だもんねえ」
 「お前・・・・・・!」
 はっと亀山はそのしょぼつく小さな目を見開いた。先日会社の前で見かけたことを思い出したのだろう。そこには意地の悪い下卑た笑みが浮かんだ。
 「・・・・・・なんだ、あいつ、やっぱりホモか。おかしいと思ったんだ!」
 勝ち誇ったように、にたりと笑んだその醜悪さに篠原の表情が剣呑なものになる。
 「おまえみたいな男にあんな、媚びた顔しやがって――――」
 「ふっざけんな!」
 案の定な醜い言葉を吐いた亀山の短い足を蹴って転がし、篠原は凄まじい形相で睨みつけた。
 「てめえなんかと博巳さん一緒くたにしてんじゃねえよ!あの人はこれっぽっちもその気なんざねえっつうの!」
 這いつくばりながらも亀山は、弱みを掴んだとばかりに唇を歪めて笑った。
 「ひ、じゃあ、てめえがホモか、ひひっ!」
 自身の性癖を棚に上げた嘲りに、亀山の歪んだ鬱屈を知る。 ゲイでありながら同じ性癖の人間を嫌悪するものは少なくない。マイノリティゆえの卑屈が滲むその言葉には哀れだと思うが、亀山の行動には同情の余地はない。

なんだろうね、これは。もう口が閉まらないよ。
ではまずホモフォビアについて言っておこう。ホモフォビアと云うのは、この社会の中で作られてある。そして、勘違いしてる人も居るらしいが、ホモフォビアはゲイだけが内面化してるものではない。「社会の病気」とゲイスタディーズから指摘されてるのだ。
それというのは、何もマイノリティであるからの卑屈ではないのだ。それを詳しく論じるのは面倒だけれど、ちょいとブログを紹介。↓

これにつけ加えると、integralさんの言う同性愛に対する「不快感と恐怖心」が、「特殊なことではない」「仕方のない」ものだとは、僕は思わない。

僕らの社会には、少なくとも近代以降、「異性愛者が同性愛者を異常者扱いする」筋金入りの歴史がある。一部の異性愛者が同性愛者に感じるという「不快感と恐怖心」は、明らかにこの同性愛嫌悪的社会の中で「訓練されてきた感情」だ。社会的な病としてのホモフォビア(同性愛恐怖症)*2である。
[・・・]
はじめに述べたように、ホモフォビアは、「社会の中で訓練された不快感と恐怖心」だ。現代社会では、メディアや「世間の常識」を通して、大多数の人の頭に刷り込まれている。多くの人が何らかのかたちで持っているものだ(ゲイである僕自身だって、自由でなかったりする)。

だがその感情は、別にベタに同じでもない。それぞれの人間の性格によって、「にじみ出しかた」はさまざまに異なってくる。

http://d.hatena.ne.jp/Ry0TA/20070407#1175916333

で、とにかく言えるのは、「マイノリティであるから卑屈である」と言えるのなら、たとえば「歯医者というマイノリティだから」卑屈になってもおかしくはないし、ゲイに限らずあらゆるマイノリティがそこに当てはまっても卑屈になっておかしくない、ということになる。しかし、まさかそんなはずはない。
ホモソーシャルホモセクシュアルを排除する、といった学説があるけれど、ホモフォビアとはそのように排他的な社会的要因なくしては説明が付かない代物だ。これをまるで亀山という「ゲイ」の特徴だとするのは不適当だし、社会の問題であるホモフォビアなのに、これにまるで自分は関係がないかのごとく他人事として語る篠原は不都合な事実に目を瞑ってるようだ。事実受けとデキたときも篠原は、元ノンケである井上に対して、「ノンケ様に恋人に昇格してもらった」「ノンケ様にホモセクシュアルなセックスを教えてしまった」と認識してるようで、彼自身ホモフォビアから自由ではない。


痛ましい限りなのだけれど、その後さらに脅しをつけて失禁した亀山を写真に撮る事までする篠原。それで、さらにさらに、みんなで悪人の亀山を店から排除できたことを祝って宴会までしたりする・・・。
嗚呼、なんてこと・・・。壮一?ヨウジ?あんたゲイでしょ?ちっとは諌めなさいよ。事実上この恐喝は「セクハラ」だけを恐喝材料にしたわけじゃない。ゲイバッシングも含まれてある。そんなことに与して自分たちのアイデンティティーは傷つかないのか。大人ならもっとちゃんとした対策を取ればいい。
篠原自身認めているけれど、個人的な恨みを晴らすという意思がその行為にはあった。それは、先にあげた恐喝事件と一体どこが違うというのだろう。こんなのは単なる私刑だ。
断言するが、こんなやり方では誰も幸せにはならない。彼等が自分の行為に反省しなくても、その業は確実に返って来る。篠原は自分と亀山は違う領域にいると認識できる。あっちは『ホモセクハラ』をする輩だ。こっちは善良なバイセクシュアルだ。でも、決定的に自分と共通してる部分がある。それがホモフォビアの内面化だ。彼は彼の中のホモフォビックなヘイトクライム(恐喝)が自分に返って来る類のものだと分かっていない。

その後彼は恐喝をして宴会の酒を飲んで奇妙な興奮状態になり、周囲に押し遣られるように井上に電話する。

 「詳しく言えないけど、とにかく、大丈夫になったから」
 [・・・]
 『それじゃわかんないって、説明してくれよ』
 「説明・・・・・・たって」
 亀山がゲイであることを説明するのに、篠原の、和美の言うところの性癖を隠して、なぜそんな事に気づいたかということや、ROOTのことを上手く伝えられる自信はなかった。
 「言ってもしょうがないし」

 同性にそういう意味で好かれるなどと、いままで井上は考えたこともなかったのだろうと思うと、なんだか自分が情けなくなって、くらくらとアルコールの血中濃度も高くなる。

 「だから・・・・・・―――亀山、ホモだったの!」
 [・・・]
 「そんであんたに惚れて、でも言えなくて、嫌がらせしてたの!―――俺と一緒だよっ」

これらの発言から私は、篠原自身のホモフォビアが窺えるのだけれど、この最後のセリフで自分と亀山の境界があやふやになっている事も読み取れる。そう、結局ホモフォビアの業が返って来ることを、井上に嫌われると予測することで知るのだ。それまでは、情けないホモフォビアを内面化したゲイであった亀山と自分とを分けられたが、実際その境界線は無効なものだよね。
亀山と篠原は、別に壁に隔たれた存在ではなかった。
それなのに、自分は既にゲイを対象とした恐喝をしてしまった。この事実からはもう逃れられない。
彼はその後晴れて井上と交際するようになるのだけれど・・・、ということはゲイカップルになるということだ。その時、自分がしたホモフォビックな言動が、自分たちの交際に影を落とさないといえるだろうか。自分たちの交際を、自分たちの愛を肯定したいとき、篠原は自分がかつて行ったホモフォビックな行為の反省を迫られるだろう。だって、彼は肯定したい「同性愛」に対して「『ホモセクハラ』を会社にばらすぞ!」と云うゲイへの攻撃を行ってしまったんだもの。正に業が自分に返って来るのだ。自分たちももしかしたらその恐喝の対象になるのかもしれないのに・・・。

他の人らも同様。ゲイの叔父を持つ和美もまた、自分の行ったホモフォビックな行為の反省を迫られるだろう。叔父のセクシュアリティを肯定したくても、彼女は恐喝に加担した。その事実が、自分の中の同性愛を肯定したい気持ちを妨げるだろう。壮一やヨウジも例外ではない。一体こんな行為で誰が幸せになれるのだろう。
ていうか亀山自殺したりしないだろうな?
もし彼等が上手いことこの自分のホモフォビアに目を瞑れるとしても、そこに同性愛への心からの肯定なんてないような気がする(まあ、お付き合いするのにそんなの必要ないけどさ)。しかし、篠原が己の感情から恐喝をしたことと、電話でついつい告白してしまった感情の中には、井上への真摯な愛情があったはず。(けれどその愛は引用したようにホモフォビアで汚染されている。)
その愛情をもって、過去の行いに反省をできるのなら、きっと彼等の交際はとっても素敵な関係になれるのではないかなぁと私は思う。すごいラブラブなカップルになってほしいな。
そこまで書いてくれたらもうBL万歳だね!!

私はBLにホモフォビアを狡猾に笑い飛ばすパワーがあると信じているのだけれど、残念ながら本作ではそういった(ホモフォビアを単なるネタにしてしまうという)BLらしさ・BLの強みがあまり見られなかった・・・。