「真夜中クロニクル」を読んだ。

デスクPCが故障して脱ネット中でしたがその分読書に時間が回り久しぶりに胸熱な力作小説を読んだので、超重たいノートを引っ張り出して更新します。
重たいのでいつフリーズするか心配ながら書くので余計に衝動のみの文章になりますがいつものことだとしてご愛嬌。
だけど拍手くださった方に感謝の意だけはお粗末ながら言わせてもらいますね^^
ありがとう。


真夜中クロニクル (リリ文庫)

真夜中クロニクル (リリ文庫)

  • あらすじ。

太陽の下に出られない病気を持つニーナは、気難しくて偏屈だ。そんなニーナが、夜の公園で7つも年下の陽光と出会う。どんなに険悪にしても無邪気に寄ってくる陽光を煩わしく感じるが、ニーナは次第に心を許していく。そんな二人がすべてから逃れるため、星降る夜に飛び出した―――。温かな恋心でニーナを包み込む陽光と、寄せられる思いに戸惑って踏み出すことができないニーナ。時を経て変化に呑まれながらも、成長していく二人がたどり着いた先とは?

BLレビュー。

なんというか、著者自身があとがきで「百%精一杯を文字にした今の自分にないものはない書きたいもの」と明かしたように、等身大な作品だと感じました。それに凪良さんも言ってたけど小山田さんのイラストも良かった。表紙カバーが世界観をうまく凝縮してると同時に、イメージにハマるキャラ造形と、成長した攻めの外見の違いもうまく描き分けつつ、「あー、この子ホンマこんな姿に成長してそう」と納得させられる細やかさでした。
どうやら書きたいものをすべて詰め込むため多少無理なさったらしく値段を上げないため行数増やしたそうだけど、その分読み応え十分な文庫本。手にとってよかったわ。

何がイイって、そうだなぁ。やっぱり文章全体から伝わるほのぼのなだけじゃない深く苦しくも温かな物語性で、詩的なリトリックがすんなり入ってくる重厚であどけない恋心がかな。
構成が大まかに分けると3部に分かれるんだけど、1章の子供ながらロマンチックな台詞を純朴に語る攻めの「少し鼻にかかっててアーモンドキャラメルみたいに甘くてでもどこか悲しそうな歌声」という表現が違和感なく、ジュブナイル小説的雰囲気とあいまって自然にトキめくしね。ところで銀河鉄道の夜の猫アニメ、俺ソレ昔見てた!

一番幼いころのエピソードがとても印象的でしたし、可愛らしかった。
大人気なく年下にゲンコツをお見舞いする18歳のニーナと、めげずに熱烈アタックする11歳の陽光がドタバタじゃれまわってるのがツボ〜。1章だけで完成された話だったから「BLだからって大人になって性愛関係描ける年齢まで書かなくてもイイのに」とちゃんと読む前は思ったけど、二人が社会と向き合う中で成長しあう過程を書いてこそ二人の物語だと得心しました。

あとラスト読んでるとき聴いてた、鬼のニューアルバム剣と楓に収録された『EVER AFTER』の歌詞と見事リンクして嬉しかったー!鬼風に言うとこういう事はよくあるから驚かないケド。これからも続いてゆく二人の精一杯な物語を感じられるさわやかなエンドマークでした♪

昼間ではない夜の優しい明かりが<闇>の色を甘いキャンパスに変えていく感動が思い起こされたよ。

あーしかし基本俺はなぜか肌ネタに弱い。目を背けられがちな肌をこそ美しいと断言するその力強さを見たら、どうしても目頭が熱くなる・・・。言っとくが私は深刻な疾患はないよ。昔通りすがりの男に突然「早くアトピー治るといーな」と言い去られたけど。ていうかニキビだし。アトピーに苦しむ人の話を聞かせてもらった後だからアレはムカついたな。いや、ここらへん俺にはすごく大切な話なんだけど今回置いといて。

― ネ タ バ レ 危 険 。―

nodada's eye.

当時18歳で太陽の下に晒せない肌を持ったニーナと、当時11歳で子役の仕事を持つ陽光。「真下陽光」という、ニーナの人生にとって対照的な名前だけど、陽光も目立つゆえに学校で居場所がなくて、いじめに遭っていた。

 「ニーナ、泣いてるの?」
 「・・・・・・泣いてない。でも絶望してる。人生は最低だ」
 「そうだね、人生は最低だ」
 間髪を容れない同意に、ニーナはハンドルから顔を上げた。
 「お前みたいなチビが人生とか言うな」
 「ニーナだってまだ子どもじゃないか」
陽光はぷうっと頬を膨らませた。

結局ふたりは守り守られる関係だったのだろうか?物語の後半、頼りない自分に憤る攻めがいたけれど、互いの夢や人生にのぞむ気持ちは、とにかく生き抜くために欠かせない「欠片」だったように思う。受けと攻めという枠組みと共に、今回彼らの関係を表現する適切な言葉とは何か、が一つの重要な観点となるだろう。

大人になっても「黄色のレインブーツ」を履くひとはいない。ならば、5年たっても変わらず初恋のニーナが死ぬほど好きであり続ける陽光の気持ちは何なのか?恋や友情も育まないで一人ひっそり部屋で音楽と向き合い、夜は散歩する毎日だったニーナが、陽光に抱いた不思議な安心感とは何だったのか?BLでも、閉鎖的な関係に例えば第三者キャラを出したり環境の変化を出すことで「閉鎖的だけど、ホラ他の男に目移りしなかったでしょ?タダ単にニワトリの雛の一目惚れではないでしょ」と証明する展開はよくある。そうすることで共依存ではないアピールする理由は何となく分かる。けれど、果たして「違う」という証明ばかり強調して恋を語ってしまっていいのかしら?

 なんだろう。自分は独りではないと思えた。理屈じゃなくて、もうそれだけでいいと思えた。不思議なほど安心感がこみ上げてきて、入れ替わるように意識が遠のいた。

 正面から問われ、ぐるっと思考が回転した。陽光が自分にとって『なに』であるのか。友人、幼なじみ、恋人。世間一般、他人に伝えるための分かりやすいカテゴライズ。でも自分たちには意味がない。陽光は陽光だ。他のどんな容れ物にも入らない。入れたくない。

 「なんていうか、カメラのシャッター切るみたいな感じかな。ほら、絶対残しておきたい瞬間ってあるだろう。ニーナといると、それがすごい頻度でくる。ああ、これ残しとかなきゃって。五年分そういうのがあって、ココがもう満杯で他のものが入らない」

 「いつまでも変われない、俺はどっかおかしいの?」
〔…〕
 他の誰かじゃない、ニーナだから好きなのだ。でもそれは、ニーナが『人よりも秀でているから』じゃない。それを上手に説明できる気がしなくて、陽光は言葉に詰まった。〔…〕一つ傷つくたびに一つ石を積んで、長い時間をかけて自分の周りに塔を作って、〔…〕そうして自分が作った高い塔の窓から、ぼんやりと外を眺めている。いつかここから逃げ出して、どこか遠い場所に行くのだと祈っている。勝手で孤独なお姫さま。
 だから自分は努力し続ける。
 目も眩む高い塔をよじ登り、囚われのお姫さまの手を取るために。
 そんな子どもっぽい思い込みのまま、大きくなってしまった自分は変なんだろうか。

 自分とニーナ。ニーナと自分。知らない人から見れば、指をさされて笑われそうなほど狭い世界だ。でも深くお互いを探り合う、今、この瞬間こそが恋の正体だと思う。

私は、「男」と「女」の枠にはまらない故に 不自然により強く「君」と「私」(個と個)の高い精神性に閉じ込められる同性間に、「他の誰でもない、あなただから好き」といった表現が用いられる事を直感的に警戒する。性指向の違いでやたら超人的に語られるのは、実態からかけ離れてゆくものだ。
けれど同時に、陽光が指し示したとおり、本来『恋』なんてものは超私的な語らいでしかないように思う。もしかすれば陽光自身が言ったように、父譲りのマゾ心がニーナに恋をさせたと説明することも出来るかもしれない。でもそれに大した意味はないよね。

まるで恋をしたらみんなが皆おなじフィールドに立ち、同じ感情を経験したかのように位置づけられるけれど、『恋』とて数ある言語の一つに過ぎない。そしてそれでも、とても多くの意味を持たされた『恋』について、正しくその人が語るとき。多くの意味を付与されてるからこそ、その人自身がその言葉に託す思いが、何か同系色であると片付けるのは、酷く乱暴なんだ。
言葉にならない思い、それでも必死に紡ぎたい。拙いけれど、ありきたりでもその細やかな機微が伝わりますように、あの人の思いと一瞬でも繋がりますように。そういう祈りにも近い“言葉にする”という儀式が、誰しも同じでしかナイはずがない。
陽光が恋の正体を語る章のタイトルが「月が綺麗ですね」であるように、それぞれの言葉面は、その人の思いを乗せる箱舟なんだとおもう。

 ニーナはなにを思って、この写真を送ってきたんだろう。よく分からない。自分の言いたかったことも、伝わったのかどうか分からない。でも気持ちなんてそういうものだろう。一瞬つながって、またふわりとほどける。その繰り返し。飽きもせず。

このフレーズが私は好きだな。

恋は個人的なもの、私的なもの。
陽光の台詞は、私たちを恋愛という社会的呪縛で同一に束ねてしまうモノに対して、そう言ってくれてるように感じる。
ニーナも世間一般の認識のみで自分たちを把握するのはおかしいと言っていたけど、自分たちにとって恋がどんなものか、自分たちで決めるもののはず。他の存在を絞って絞り落とし続けて2人なら2人、3人なら3人だけで紡ぐ。当人達の間ですら通い合ったのか分からないけれど、ただただ紡ぐ。恋とか愛はそんなエゴイスティックなものじゃないかな?

・・・私も誰かの恋に、勝手に共感したり、意味をくっつけたりする。その意味でたとえば他人に「真実の愛」を見い出すような人たちと変わりない。だけどそれを拒絶するものが二人には感じられた(勝手に読み取った)。
それは、「男と女の愛はどうしても社会的」だから「男・女同士って性別を超えた愛だね!壁があるのに愛すほどその人一人が好きなんだね!性別じゃなく個人を愛するなんて素敵じゃない!だからホモ・レズでも認めてあげようそうしよう!」、そんな男女間の呪縛から転じて起こる同性関係へのバイアスをゆるりと解すかもしれない。閉鎖性をいとわない誠実でどこか独りよがりな恋心。そのダイナミズムに、私はある種の希望を寄せる。


彼らは恋という磁場で、互いの手で何か星のような宝物をつかむ瞬間を築いていくのだろう。いきづらい人生を生き抜くために。大切な欠片を胸に温め続けるために。
そういうことのために、私も言葉を使いたい?いや、それは出来ないけれどもね。

「あなただから好きなのだ」。一見同じに見える「好き」という言葉面の中身を吟味分解してゆく、そんな星空みたく途方もない雑多さを、気難しくて読解不能な計算式を愛そう。

孤独なものだもの、ひととひとさえ。