「千一秒物語」レビュー。

ここ最近、唯一レビューして皆様にお届けしたいと思ったBL。

千一秒物語 (GUSH COMICS)

千一秒物語 (GUSH COMICS)

このタイトルは『一千一秒物語』をモデルに?(<なんか少年愛らしいです、コレ)
トジツキさんらしいや。

  • あらすじ。

俺の名は町屋千乃介、17歳。好きな奴は双子の兄の一こと一乃介だ。好いたらいかん。伝えたらいかん。バレたらきっと嫌われる。分かっちゃいるが、どうか俺に一を好きと言える勇気をくれ。
トジツキハジメが贈る甘ずっぱい愛と青春ストーリー、描き下ろしも加えて堂々見参!

  • 帯。

GUSH5周年記念フェア カラーイラスト+裏面にはマンガつき! プラ製ミニ複製原画セット全員サービス 応募者負担あり
参加作家 高永ひなこ大和名瀬かんべあきら越智千文金沢有倖、佑也、はしだ由花里、南かずか、トジツキハジメ、みろくことこ、羽柴紀子、柊のぞむ、深瀬紅音、乱魔猫吉、四位広猫


好きで好きでたまらんのに、好いたらあかんの?

言うときますが、今回のは関西弁じゃないがってよー。

BLレビュー。

今回のTB先〜♪内容重いのに了承ありがとうございますー。
千一秒物語 トジツキハジメ 11月の読書家

叶わない恋ならしたくない

なんて率直な本音だろう…。ここには「叶わない恋」に恍惚とする姿は見当たらない。
「兄弟or姉妹or…で恋をしたって不幸になるだけだよ、やめておきなさい!」。
そう忠告なさるお人は、「きょうだいである事」と「恋人である事」がそれぞれ矛盾しない事実を本能的に悟っているのでしょう。だからこそマッチポンプよろしく、きょうだい愛が抑圧される背景を盾に「不幸の手紙」のような事を仰る訳だ…。それは「きょうだい愛だなんて禁断だわ!…ウットリv」としている人も同じ。
そう言えば、この物語では千は超能力を持った少年であると言う設定だけど、それは人生(対人コミュニケーション)の問題であり、ゆえに兄弟二人の関係性に影響をもたらしますが、あくまで恋のシークエンスには直接関与しないスパイスでありましたね。

あらすじなどを見てもらえれば分かるように、物語の類型としては、オーソドックスな兄弟愛作品だったと思います。最初は千視点で始まるこの片恋物語では(一ちゃんの視点は後半じょじょに。)、背徳と、拒絶への恐怖と、葛藤が描かれます。そして、その流れを経て辿り付く水は、ただ細く長く続く川となる。

ちなみに、設定を知らずに読むと(実際に兄弟のいる私にとっては)彼らは親友関係なのか兄弟なのか混乱するくらい兄弟っぽくないと感じました。
…どっちが兄だっけ?まあいいや、ここでは千を弟にしておきますが、彼にとって兄・一ちゃんとは幼少の頃から“後ろをついていく”存在で、また「異端」の自分を孤独な「正しさ」で“導いてくれる”存在なんです。逆に、兄にとっての弟とは、それらの自己存在意義を満たしてくれる対象。つまり、相互補完の関係だ。
そんな中で、彼らは互いの交友関係を微妙に交錯させつつ(否、交換されるのは弟の交友関係だけだ)、「兄弟」というーーー愛を保障されないーーー関係に一歩一歩踏み込んでいく…。
それはやはり恐ろしい事で、許されがたいという倫理が自縛的に絡んで、躊躇してしまう。しかし、そこで踏み出される弟の力強い一歩が、「アホ」と評価される単純短絡率直な愛情であり、これが二人の間に横たわる道程(真理)を拓かせるのです。


最後にいっちゃんは心の中で最高の愛情を唱えます。もし私が千と同じ立場だったなら、あの言葉こそを望むはずでしょう。あの言葉には彼らの抱える全てをやんわりと包み許容する力があると感じます。
所詮、恋の絆とは先の見えない小流。だとしたら、彼らも等しく困難にぶつかり、そのたびに自分達の<本来>に回帰しなければならない…。その時、自分達の生まれを後悔しないように、それだけを読者である私は祈ろう。


ところで、私的には高校球児って野生児っぽい印象(盲執)がありますが、オトナっぽくも軽く天然な兄・一ちゃんは千いわく「魔性」のセクシーダンディーらしい…。食べ与えなど、過度と言える密な接触は確かに魅惑的な雰囲気でした。(互いの唾液とか気にならないのだろうか…)


そうそう、表題作以外にもかけると人の頭に猫耳が見えるというメガネのお話もあります。…コレ、メガネの設定を忘却してしまうと、まんま普通のBLになりますw
内容は普通のBLなのに、メガネをかけている主人公だけが現実とズレてしまっている…。いや、現実のズレを主人公だけが知っている・・・。しかしてその実態は…?
大変面白いマンガでした♪

以下ネタバレ。
ところで、私はネット書店で買ったためペーパーが付いてこなかったのですが、ペーパーには「双子の青春ものです」と書いてあったらしいです。…納得、あの個性溢れる各キャラクタとの瑞々しい時間は、正に青春だと思いました。

では、このコミックスの一番の魅力は何でしょう?一言では言い尽くせませんが、たとえば千のモノローグにその特徴が現れてるかもしれません。

今でこそ騒がれる超能力だが その実俺の少年期はべらぼうに暗くあり申した

…やっぱ身内をね そういう目で見たらイカンよね… イカンのよ本当 本当にね

と、このようにどこかおちゃらけた態度であるのですが、同時に文学的な「語り」も要所要所見られるんですよ。そこにまず心惹かれます。
で、彼はこんな風に「倫理」と「本音」の狭間で自問しつづけながらも、ついには一ちゃんに対して切実に想いを打ち明けます。

「好きじゃて云うたらいかんのが 考えてもわからん …何で好いたらいかん」

一ちゃんはその想いを聞いて達観したように答えます。

「理由はなぁ千 兄弟は一生続くからじゃ」

確かに一ちゃんが言う通り、たとえば二人に別れが来ても「同じ家に帰らといかん」「途中で切れたりできん」間柄でパートナーになるというには相応の覚悟が必要な気がします(しかし、そうした覚悟が一切いらない人間関係が他にあるのかと言えば、私には疑問だけれど)。
つまり、兄弟間の恋愛がいけない理由に一ちゃんは自分達の未来への不安を挙げる。これはある意味倫理の問題ではなく絆の問題です。
そして千はそれに対して「一生ってスケールでかっ」と泣いたり、

「あのな 俺はバカやきようわからんけど 一生って生きてる間全部って事じゃろ? 俺今までの全部一が好きじゃったよ これがずっと続いたら一生じゃろ?」

とまあ、千は否定的なリスクをそのまま引き受けたがる。そして心動かされる一ちゃん…。しかし、一ちゃんはまだ迷いつづける。他人(非血縁の異性間恋愛)の姿と自分達を比べたり…。

いつも一緒におっても 俺と千ではそうは見えん 何が正しいかを知っているから 余計に劣悪さが目立つ

大切に思う事は善しでも特別に思う事は咎だ

ある日一ちゃんは(千に片恋している)押切さんという女の子とお話をする。その内容とは、幼なじみや兄弟のように一生続く(とされる)関係性への憧憬だった。つまり彼女はたとえ恋仲ではなくとも傍に居続けられる町屋兄弟に憬れを抱くのだ。
一生続くゆえに思いとどまる一ちゃん、思いが通い合わなくとも一生続く関係に憬れる押切さん。
ここでも、二人の視点により兄弟愛が倫理の問題から絆の問題へとスライドされていきます。

…このマンガ、何故か、人間の“ありのままの姿”や“異端な姿”をジャッジメンタルに描いていない感じがします。規範(ここで言う所の倫理)を描きつつもそれを外側から眺めるように設置して、キャラクタの心を鮮やかに描いていますよね。
そしてラストでは、彼らの幼少の思い出と現在の自分達を重ね合わされます。昔からの“導かれる/導く”の関係を踏襲しつつ、それを逆転させるラストエピソードは秀逸!この「後ろをついていく/前を歩いていく」構図の逆転は、“この世に一生変わらないものはない”ことと“それでも今なお抱き続けている想い”の対立図式を解体するものです。

前を歩く不安 
後ろを探す不安
拭えないのは解ってる 
一生つきまとう不安に信じるなんて簡単には言えない
それでもいつか手を離す迄 離される迄は
一緒にいたいと思うから

nodad's eye.

一ちゃんは最後、千に「もし仮に結婚しても苗字を変えてくれるな、そしたら墓まで同じところに入れる」と話す。
この二人の結論に対して私はどう解釈すればいいだろう。実際、結婚というのは性愛(非血縁の異性愛)に特権を与える制度だと思う。そして結婚できない関係に対しては、権益を剥奪しエロチシズムを公的に認めない。そんな具合にノンエロチックと信じられている関係性にホモエロチシズムを生み出しこよで、結婚制度を逆手に取る彼らの未来図。…正直、小難しい話を抜きにして考えると、私はそゅの好きだな。

では、この物語の結末は、「禁断愛」のように性をワイドショー的に消費する欲望に対して、どのような意味を持つだろう…。私にはチョットわからない。

メモ。

親子よりは遠く 他人よりは近く 手を伸ばせば届く範囲なのに 多分絶対触っちゃいけない

BLでも兄弟愛になると、こういう人間関係の境界線を確認する場面が多くなりますよね。それはとたとえば、男同士の恋愛にホモソーシャリティとその逸脱の確認をしたりするのと同じように…。でも、千のように率直に「なんでいかんのか」と問うマンガは多かっただろうか、少なかっただろうか。どっちだっただろう…?