「明日も他人」を読んだ。

なぜか町屋はとこさんの「またあした」を思い出す。

明日も他人 (ビーボーイコミックス)

明日も他人 (ビーボーイコミックス)

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  • あらすじ。

生活能力があまりに低いため「親友」の亮介に日々の面倒をみてもらっている章生。でもその「親友」を、もうずっと前から好き。サラリーマンでしっかりしている亮介が、ホントは淋しがり家だって知ってる。結婚とかに向いてることも──。そばにいても口に出せない気持ちが、グルグルと胸の中を巡る…。描き下ろし15P付v

BLレビュー。

本当はね、今回は「flat」を紹介しようかな、と思ってたんだけど、あとちょっとしたら書き終わるのでそれまで蔵にしまっておいて、先に今読んだまさおサンの新刊をレビュー。

ところで以前、まさお三月さんの1stコミックスをレビューしたことがあったのだけど(「身勝手なあなた」レビュー。 - のだだがBL読んだ。)、あえて比較しますと、こちらのほうが格段に良い完成度に仕上がってると思います。コミックスの内容は丸ごと亮介×章生カップルのお話で、著者曰く商業誌で長編シリーズは経験浅いらしいのだけど、どうもまさおさんは長編でキャラクタの心情をせつせつと語っていくほうが味が出るご様子。しかも更に良かった点がありまして、1stコミックス2ndコミックスのどちらも同じく“同性愛者の負い目”を中心的に描いてるのですが、同性愛者を「普通の逸脱」で「不幸になる運命だ」と印象付けて、マイノリティばかりが配慮を求められる背景を美化しただけのお話になっていなかった点で、こちらはより読了感が清清しかったです。<後述。

受けもちょこっと天然マイペースで、そこそこに毒舌w(しかし抜けている)な所がまた可愛らしかったですね。攻め・受けキャラ以外にも、受けに横恋慕してる臭い先輩キャラがいるのですが(攻め攻めガチンコバトル!?)、先輩と受けの「いつもチョッカイかけてくるけど、あんた仕事してんですか」「心配するな」「心配なんてしてませんよ」などのやり取りも面白かったです。その他、ちょっと脱力系なのがまさお三月さんのテイストですよねv

さて、いきなりなのですが、この方、私の好きジャンルの同人をなさっていた方なのですが、件の山○氏を描いていたのです。しかも私の好きカプの敵対勢力。そして、例によって例のごとく、私はこの攻めが嫌いです。(今一瞬「好きです」って書きそうになって焦った)
その上キャラクタ設定がまたウザいんだ。あらすじのとおり、甲斐甲斐しく受けの世話をなさる前向きで朗らかな好青年なのですが、嫉妬する時は猪突猛進・全力全開で、この世話女房加減はBLであってもちょっとウザい。
で、今回も「前向きな攻め」が「後ろ向きな受け」の負い目や頑なさを「考えすぎだ」みたいに軽くひっくり返してしまう内容なのですが、この攻めっぷりが、山的だと思うとどうも頂けない。
どうしてだろうなぁ、本来だったら山みたいなのは私のタイプだと思うんですけど、いつの間にか疎んじてしまうようになりました。あれかな、私が59が好きすぎて、自然に(!)山を敬遠する心性を備えてしまったのかもしれないな。

そんな訳でどうにもいけ好かないのだけど、でも受けに叩かれたときの顔がモアイ像ぽっかったので、許す。

あ、あとね、Hシーンを見るに、まさおサンは攻めの逞しい背中萌えだと思う。(オイ

イカ寝たバレ、、。。


さて、今回は「家族」をテーマにしたお話でした。要するに「お前は男なんだから、女と結婚して家族を作るべきなんだ、俺ではだめなんだ」という葛藤を描いた、よくあるBL話。そうそう、以前こちらでも紹介したヨネダコウさんの『どうしても触れたくない』と同じシチュエーションです。受けは昔から幼馴染に恋しているのだけど、攻めは家族に憧れていて、2年前には同級生と結婚式を挙げようとしていた。しかし、式直前に受けは女性に「君の元カレは未だに君のことを好きだよ」と、結婚の邪魔をするような事実を教えた。そして、彼女は元カレと去っていってしまう。
その行為に罪悪感を抱いている受け。しかも攻めはずっと昔に両親を亡くしていて、結婚して自分の家族が出来ることを望んでいた分、落胆していた。なので受けは、今度攻めに彼女が出来たらもう邪魔せずに祝福しようと心に決めたのだ。しかし攻めはといえば、受けの思いを知らずに世話を焼きにちょくちょくやってくる。攻めが言うには保護者的な感覚らしい。それが幸せなのか、辛いのか分からない受けだが、家族を持ちたいと願う彼に恋をしても何も良いことはないと絶望している。親友でいることを選ぶ。

亮介の「恋」に対する願いの重さと 勝負なんてはなから決着がついてたということで わずかでも可能性があるかもと思っていた自分は何て浅はかだっただろう
亮介は 人一倍「家族」に憧れている
〔…〕
それでも自分勝手な本心は せめてずっとこのままでいられたらと願っていたけれど・・・

そんなある日、受けはかつての同僚で先輩の室野に会う。彼はどう見ても受けにモーションかけまくり!なのだけど、受けはそれに気づかない。ちなみに彼らは昔、二丁目で偶然出くわして、その時に受けは自分の片思いの話を室野に相談していたので、室野は唯一受けの事情を知っている。
しかし、そんな室野がちょっかいをかけたために、攻めは嫉妬を覚える。段々と世話の焼き加減が過剰になっていく。「俺あのひと嫌いだ、あの先輩を家に入れるなよ」と口走ったりする。「お前の世話を見るのは俺の役割だ」。そう主張する攻め。しかし、そこまでしていても「友達から多少逸脱してるけど亮介に恋心はない」・・・。

亮介「章生の面倒見るのは俺なのに」
章生「・・・な 何言って・・・」
そんな言い方 それじゃあまるで
亮介「なあ章生にとっての俺は何?ただの友達の一人?」
章生「・・・親友だよ 一番の」
亮介「・・・うん俺もそう思う」
訳が 分からない

しかし、室野はそんな嫉妬丸出しの攻めに対して「君はまるで恋人を取られた様な顔をしているね」と指摘する。たったそれだけをきっかけに「男同士だから気づかなかったけど、お前のことが好きなんだ」と告白する攻め(行動が早い!)。
この戸惑いのなさと負い目のなさが非対称的なのだが(私は自分のセクシュアリティがストレートからクィアになることに戸惑う表現があっても別に良いと思うけれど、いつもいつもそれを「戸惑うべき異常なこと」としてばかり描かれる現状はおかしいと思う。)、しかし受けは両想いになったというのに何故か頑なに彼を拒む。

亮介「・・・俺最近ずっとモヤモヤしてて さっきあいつに言われて分かったんだよ 男同士だから気付かなかったけど ここ最近の章生への気持ちが好きってことなら全部辻褄が合うんだ なあ・・・章生はさ俺のこと嫌い?」
章生「・・・・・俺、は 〔…〕冗談だろ? お前何言ってるのか分かってんのかよ」
そうだ 忘れちゃだめだ 亮介の相手は俺じゃだめなんだ 亮介に必要なのは子供を生んで家族を作れる人なんだから たとえ亮介が俺を好きでも 俺はだめだ
章生「室野さんが何言ったか知らないけど 真に受けるなよ 男同士で恋愛なんてそんなの お前の勘違いだよ 〔…〕だって男同士なんて 亮介そんな嗜好なかったじゃん」
亮介「嗜好って・・・ そういう問題じゃなくて!」
章生「でも男同士に変わりはないだろ まあ冷静になれよ」

ああ 報われないな 両想いなのに謝るこいつも 涙の訳も言えない俺も なんて報われない

しかし家族とは何なのでしょうね。私なんかは自己の血縁を重視した家族の生産には絶対参加したくない性質なのですが(何故だろう)、そんな私にも“「家族」的”なものへの憧憬はあります。「家族っていいよね」と思う反面、「家族」を取り巻く社会とはかくも複雑か・・・と思う。
私はこの受けのように、同性を愛す側ばかりが身を引いて 相手を「正しい、幸せ(であるはず)」な結婚=生殖行為へと促す様を見ると、「自分の性道徳のために“女を産むための道具”として捉えておいて、その自覚もないどころか、それを善意だと思ってる節が気に食わない」と思う。(私は人間を生殖するためのものとして運命付ける思想がマジに大嫌いだし、しかも女を性的に虐げてきた男がそれを言うってのがまた傲慢だと思う)
もちろん、章生には自分だけではどうしようもない社会的抑圧があると分かってはいますが、自分の傲慢さを看過しておいてただ「報われない」と感傷に浸るのって、どうよ。と正直思う。

しかし、この物語は、そういった感傷を感傷のまま受け入れて安易な「それでも一緒にいたいんだ!(ああ、なんて罪な僕ら!)」という異性愛規範的なハッピーエンドを良しとしないのだ。

結局亮介を振った章生は、後に室野から飲みに誘われる。そこで室野は章生を心配して「何があった」と問いかけ話を聞く。章生の気持ちを聞いたうえでこう答える。

室野「あのな 塚田の気持ちは分からないではないがな 少し頑な過ぎやしないか? 確かに焚きつけたのは俺だけど あの子は初対面のときから気持ちがだだ漏れだったよ 大体幼馴染ってだけで弁当作ったりなんてしないよ〔…〕塚田は彼を一番に考えてるつもりだろうが実際はどうだ? 結果として彼の気持ちを否定してるだけじゃないか」
章生「室野さんは2年前のこと知らないからそんなこと・・・!」
室野「ああ 知らないね! 2年も前の事なんてあてになるか それだけありゃ人が変わるには充分だろ」
章生「でも俺は変わらなかった!」
室野「・・・2年前誤ちを犯す位 彼が好きだったんだろう ならそれでいいじゃないか 負い目や気づかいで結論を出すな 塚田はもっと我が儘になる事を覚えないさい」

我が儘!
室野は章生の保守的な考えを前に、「我が儘になる事を覚えなさい」と諭す訳だが、実はBLでこのようなアドバイスをするキャラクタを私は初めて読んだ。
ときにクィアは、「お前たちはマイノリティなんだから、自分が一般的でないことを自覚するべきだ。その上で自分の好きに生きるのは周囲の人々を不幸にすることであり、傲慢だ、自重するべきだ」みたいに、差別的な現状をまるで当事者に責任があるかのように言われることがある(もっとオブラートに包んで、まるで当事者に無難さを説くかのように、善意でコレを言う人もいる)。そんな中で非異性愛者がクィアとして生きることは、正に(異性愛規範からすれば)「我が儘」な姿なのだろう。


BLは少なくとも「家族」という価値に対しては体制的なジャンルなので、「家族」の定義からクィアを排除するような社会があるとき、「それなら家族なんてイラねーやwww」という答えを出さない。むしろ、クィアを「家族を作れないかわいそうな人たち」としてまなざす。
だけれど、今回はそういう方向性だからこそ、きらめく言葉が生まれたように思う。クィアクィアとして既存の権力とその制度を礼讃せずに、しかし奪われた権利をただ諦め手放すこともせず抗い続けるように、彼らも彼らで家族と言うものに対して自分たちを排除しないような、何かしらのオルタナティブを探そうと懸命に生きるのだ。


しばらく距離を取っていた二人だが、章生が本当に自分なしに自活出来てるのか不安で、様子見だけしに亮介は再び章生の部屋を訪れる。そこで、亮介は章生の気持ちに感付く事となる。

亮介「なあ もしかして・・・ お前 俺のこと・・・」
章生「違う!! お前と一緒なんかにするな! 俺は 俺なんて・・・・・・っ 〜〜〜〜っ」
亮介「ほら 泣いてんじゃん」
章生「うるさい 汗だ!」
「無茶言うな!」

無茶言うなwww

章生「お前には男同士なんて向いてないから 俺のことは諦めろ そんで次はちゃんと女見つけて 結婚して」

「向いてない」。これはある意味今のクィアが生きている現状を良く指し示していると思う。クィアは家族を求めるなら求めるほどにクィアでいることそのものが困難だ。しかし亮介は「好きなんだ」と食い下がる。どうしても諦めてくれない亮介に、章生はついに自分が2年前にした「誤ち」を告白して、自分を恨ませようとする。

章生「八木がまだ高津を好きだってことを 教えた」
ああ 終わった
亮介「それだけ? 章生がしたのってそれだけ?そんなのにずっと悩んでたの?」
章生「だけってことはないだろ!!お前の結婚ふいにしたんだぞ!? そんな軽いことじゃ・・・・・・」
亮介「まあ2年前なら怒ってたかもだけどさ でもそれだけ俺の結婚が嫌だったってことだろ? そんな今の俺に言われても嬉しいだけだし・・・」

章生の過去は、今となっては意味を変えていた。それが都合の良い結果であろうと(なかろうと)、少なくとも亮介は2年前とは違っていたんだ。彼には諦めるべき動機が最初からなかったというわけ。

亮介「章生こそ何でそんなに頑なななんだよ どうして俺が諦めないと」
章生「だって俺じゃお前の家族になれないじゃん!!・・・亮介は覚えてないだろうけど 高津がいなくなってお前が酔い潰れた日 お前の本音を聞いたんだよ 亮介は家族が欲しいんだろ?一時は俺のこと好きでも最後は家族になれる女を選ぶんだろ?最初からそれが分かってて恋人になるくらいなら 俺は一生友達のままでいたかったんだ」
〔…〕
亮介「確かに俺は親がいなくて 昔からばーちゃんと二人暮しだから家族には憧れてるけど 章生は だったら自分が家族になってやろうって 考えたことはねえの?」
章生「かんがえる訳ないだろ なんで だって俺は結婚できないし 子供も産めな・・・」
亮介「章生 今までが今までだったから すぐに信じろとは言わないけどさ 相思相愛の相手が自分を必要としてくれて 帰りを待ってくれてたら それだけでもう他人じゃないと思うのは強引か?」
章生「ずるいだろ・・・っ」
亮介「何が?」
章生「だってそんな簡単に・・・そんなので許されるわけ・・・」
亮介「章生俺は長年お前の幼馴染やってて お前の性格も知ってるつもりだけど それでもいつか 自分を許せたら その時は 俺と家族になろう?」


ということで、今回は二人のクィアが家族を志向する方向性で話がまとまっているわけだけど、当事者がただ単に「家族」という制度から排除されるだけに話に留まらず、自分なりの「家族」定義を持ち出して、それを幸福として肯定しているのね。
もちろん法制度が差別していることに対する批判は必要なのだけど、BLのような恋愛ジャンルでこういう物語が用意されることは、やっぱり素敵臭いことだと私は思う。

章生「こんなに全てがうまくいって もう少し ばちとか当たってもいいのに」

亮介「あのさ 章生は もっと幸せに慣れたほうがいいんじゃねぇの?」

本作においてネックとなるのは時間軸(2年前の誤ち)と家族定義のクィア排除だけども、同性パートナーシップがその幸福を手に入れられないのは、(親友を傷つけた&ストレートな家族を礼讃しなかった)「自分を許すこと」で開放の兆しが見えるのだと物語られている。そして私自身も、亮介や室野が言うように、私たちはもうちょっと「我が儘」になることで、自分に「都合よく」生きることを選択しても良いと思う。それがひいては社会の構造をかえる力になるかも知れない。

メモ。

描き下ろしの後日談が楽しい。
晴れて両想いになって付き合いだした章生は「自分の愛情表現がうまくないのではないか」,と心配になって室野に相談をするのだけど。話は変な方向に流れていって・・・。

室野「それでも不安だったら分かる部分から直していったらどうだ?料理のひとつでもしてエプロンでお出迎えとかよ」
章生「なんでそこでエプロンなんですか?」
室野「そりゃお前 男のロマンだろ 好きなコのエプロン姿が嬉しくない男なんていないだろ」

そこで章生は、自分が今まで亮介に世話を焼いてもらっていた風景を思い出し、「確かに亮介のエプロン姿はかっこいいな」と(ズレてる!これはクィア!「旨い、絶品だ!」みたいな)、ためしにネットで検索してみると、あれれ?「男のロマン エプロン」が「男のロマン裸エプロンとは」とキーワードが変わってしまった!

男のロマンは「エプロン」じゃなくて「裸エプロン」なのか?ただ着ればいいってもんじゃないのか?

同僚も「裸エプロン男のロマン」と同意するので、章生は早速亮介に裸もどきエプロンをしてみた。戸惑う亮介はとりあえず「なぜそんなことを?」と問いただすが、章生は分かりづらい自分の愛情表現を変えようと試みたのだという。それを亮介は「気にしなくていい」と逆に詫びる。なので章生さんは・・・。

章生「じゃあもうこんなカッコしなくてもいいな 今着替えて来・・・」
亮介「え、まって!」

ロマンwwwww

この場面では結局「男性」的な嗜好性が採用されてるのだけど、やはりBLがコレをやる場合、男女とは違うズレを生んでしまうのだと思う。

メモ二個目。

亮介「だってくやしいだろ 俺がもっと早く気付いていればお前とも早くこうなれてたかもしれないのに」
章生「それはないだろ お前はノーマルだったんだし」
亮介「んな事言ったら自覚させれらるまで自分でもノーマルだと思ってたよ! ようは自覚するのが早いか遅いかだろ?」