SASRA読み始めたよー。

そういえば、Basara (1) (別コミフラワーコミックス)とSASRAは似てる。比較したら面白そう。
[rakuten:book:12092766:detail]
Unit Vanillaの1stプロジェクト、SASRAを読み始めましたよー。うん、結構面白いよね。
このユニットの詳しいことはこちら。
http://www.unit-vanilla.com/html/top.html
どうやらリブレ出版だけのお抱えユニットってわけじゃないみたいですね。しかしこの作家達にどういう繋がりがあったのでしょうねー。
SASRAに関してはこちらをどうぞ。
http://www.b-boy.jp/hotnews/sasra/intro.html

NOVEL
Unit Vanilla
和泉桂 岩本薫 木原音瀬 ひちわゆか
ILLUST
円陣闇丸

超人気小説家ユニット「Unit Vanilla」、渾身のグランドロマン!!

<精悍なエジプト王子×美貌の神官><幼馴染の官吏×野心溢れる金細工師>

あらすじ。

金色の砂、灼熱の太陽。夢に見た砂漠へ旅立つ蓮は、怪しげなアートディーラー・剛将と出逢う。初対面なのに、なぜか彼と蓮だけが共有した、鷹の羽音の幻聴──それは遙かな昔に始まっていた、運命の恋の手がかりだった。転生を繰り返し、巡り会った二人の愛は果たして叶えられるのか!?
愛した罪の起源・エジプト編に加え、古代中国編ほか書き下ろし。
和泉 桂、岩本 薫、木原音瀬ひちわゆか。超人気小説家集団「Unit Vanilla」始動!!

BLレビュー。

nodada's eye

で。

2006年活動開始。既成の枠組みに囚われることなく、今までにない新しい感覚の作品を生み出していくことを目的に結成されたユニット。
和泉桂、岩本薫木原音瀬ひちわゆかという4人の作家が集結。それぞれの持ち味を生かしつつ、一つの作品世界を創り上げていく。

とありますが、一巻を読んだところ、「規制の枠組み」を越えるもの、というよりは、既成のものを上質に仕立て上げた作品を生み出してるユニットだと感じました。
BLでは参考文献を記すことも少ないのですが、一冊に6冊の文献を使ってあるのね。
で、その文献の活用というものは、もちろん、BL的で壮大なグランドロマンの魅惑を強く主張するための活用、になるわけですね。したがって、各時代の文化的背景・価値感を、現代的視点で語ることの乱暴さというものには、さほど配慮していないだろうと思います。大事なのは、豪華で壮大な世界観の提示でしょう。
そしてそれに成功している。なぜか。…たぶんそれは、プロジェクトと銘打って売り出される、商業の企画性にも関連するでしょう。私自身が、「なんかちょっと今までと違う大仰な企画だな!」と思って読んでると、それだけで読み応えが一味違いました…。既読者の皆様はどうだったでしょう。

そして、この作品は転生モノですから、それらの時代性というものが持つ意味とは、“二人の愛を翻弄する巨大な波”になるわけですね。(多分)
ですから、時代性による人格というものは、おそらくここでは排除されます。あくまで読者が作品に読むのは、時代性により構築された主体ではなく、時代を常に超越した<魂の番>という普遍的主体なのです。(とか何とか言ってみる)

この<魂>の交感とでも言うべきものがBL的ロマンスとマッチした結果として、「グランド」ロマンなるものを生み出しているんだと、思います。
ですが、考えてみれば生まれ変わってずっと同じ相手と繋がりあう、というものは、それ自体(認識してしまえば)人格への負担になります。現実的ではないというのはあまりにも当たり前ですね。
しかし、もちろん読み手は<魂の番>が普遍性を持っている事を、既に重々承知ですから、二人の永遠の絆というものを楽しみたい。そこで、様々な時代を超える彼らの苦難と愛の物語それ自体を、数珠つながりの歴史として見る。歴史の中の一部、ではなくてね。歴史を分節して解釈するのではなく、連続した一個の集合体として解釈する、ということか。
ここでは、時代が彼らの歴史をつむぐのではなく、逆に彼らの愛が歴史をつむぐ。歴史のつむぎ手が、主人公達の主体に委ねられる。
なぜなら、彼らの愛は『現在』を舞台にしてるのではなく、『時代』を舞台にしてるのだから。時代を舞台にするということは、主人公二人の愛の物語性に、各時代ごとの要素が寄与するということ。したがって、読み手からすれば、歴史はあくまで彼らの愛の消費物になる、のだと思います。
それゆえに主人公達の主体性は、時代性による主体ではなく、時代を超越した普遍的主体なのでしょう。<魂の番>による愛というものは、そういうものだと私は解釈します。
こうなると、彼らの永遠の絆という無茶なものは、ただひとつの人生として纏まった“何か”と見なされる。そうすることで、転生するとうことが単純化され、より簡易に超越的主体を楽しめる、のではないでしょうか。(いや、そんな事に気をかけるのは私だけなのかもしれないケド)


この作品の中では、読み手は歴史というものを、あくまで彼らの魂と愛のための舞台として読む、つまり歴史は歴史ではなく、脱文脈的に読み込まれる“愛のための装置”になる…のだと私は解釈します。


そして、各時代での彼らの苦悩は禁断の愛という形でつむがれますが、それが永遠というものを呼び起こす。それはなぜだろう。…歴史に翻弄される、ということが、彼らが普遍的主体である証拠となるからだろうか。普遍的主体であるためには、歴史に翻弄されなければならない。(?)
転生(そして再会)する理由が、彼らの深い絆によるものだとするならば(そのように設定するならば)、そこでは時代を超える罪というものが必要になるのかもしれない。
二人が負った深い罪というものが、転生して再び愛がつむがれるその『理由』として消費される。
読者の永遠の絆を読みたい欲求と二人の愛の罪深さとが、歴史を越える理由として、共犯的に結びつく。
「歴史を越えてまで繋がりあってしまう二人の愛には、よほどの罪深さがあったのだろう」とね。

…大体そんな風に解釈していますが、どうなんだろう。うぅーん。一人相撲かも。(実際に、罪が彼らの運命を定めるような描写があるけれど)
実際に他の作品(BASARAとか?)と比較して解釈した方が、この物語性を照射しやすくなるかも…。


しかし、一話目のエジプト編では、なんだか作家さんの色がわからん感じでご丁寧に描かれてる感がいっぱいしたけれど、二話目の漢編ではイメージが一変したので面白かった!
どうやらそれぞれの話は、作家のリレー形式で書かれてあるようなのですが、二話目は絶対木原さんの色が効いてるよねー。だって、なんか天然っぽい純朴な青年の攻めが、木原さんの秘密 (Holly NOVELS)の攻めとダブるんだも〜ん。
一話目は二人の出発点であり、最初の愛のつむぎなので、神がかった壮大な“展開”がキーとなっているのに対し、二話目はなぜかいきなり、人間性の奥深さや感情のねじれがキーになってる印象を持ちました。そしてそのエンディングが物悲しくってステキでしたー。

さて、なんかえらそうに解釈してしまいましたが、今後続きを読んでいけばどういう解釈が可能になっていくのか…楽しみです。