男と女の、絆と断絶。

先にお知らせ。

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070825


面白BL発見ー。

華の闇 (SHYノベルズ)

華の闇 (SHYノベルズ)

帯。

華嵐は遊女で、君は客。
触れることもできる、
抱くこともできる。
けれど、自分のものにすることは
決して叶わない存在…

遊郭絵巻競演
story
榎田尤利
illustration
蓮川愛

あらすじ。

仕事相手である西園寺子爵に連れられて吉原を訪ねた南条貴師は、そこで四年前、自分の前から突然消えた少年とさいかいしする。しかし、彼はいまや吉原の奇蹟、吉原唯一の男遊女、華嵐だった!!
過去を忘れ、遊女として振る舞う華嵐。
遊女を憎み、嫌う南条だったが、華嵐を見知らぬ男に抱かれる姿を思うと、自分でも抑えることのできない激情に囚われる。
ならばいっそ自分の手で……華嵐の水揚げを決意する南条だったが――
豪華絢爛吉原遊郭絵巻!!

なんてひどい三段論法…。
勘弁してよ、抱かれる身にもなってよ…攻め。

BLレビュー。

攻めはクールなセレブで、しかも露骨に嫌悪感を表すタイプなので好みじゃないんですけど、しかし受けが愛らしいのです。蓮川さん、ナイスデザイン!これで少女だったらもっと好みだったかもしれない!
私、最初この受けのことを、男で遊女として生きざるをえない境遇の中自身の男性性の確保ができずもがき苦しむ受け、かと思ってたのね。でも違うの。彼は吉原の中で『特別な男』だったのです。
彼にとってすれば、男である事と遊女である事は、むしろ矛盾しない事実だったのです!(コレも一つのおかまだね!!好き!!)

あと、Hシーンですが、遊郭ものなので、色々プレイがございます。そこらへんで好みがわかれるかも。


遊郭モノとして細かな描写だったと評判みたいだけど、基本は他の遊郭モノと同じ展開だと思います。けれど、芝居っぽい演出の効いた榎田さんの情感豊かな文章表現が乙で、ラストも感動的だったー。

しかし遊郭でのお作法というのも、現在のジェンダー表現・文化とも連関性がありそうですねー。面白いテキストです。遊郭での文化と、男を攻めと受けに二分化するお作法のある腐文化とは、なんとなく相性がよさそうに思います。
ところで、遊女=不幸って描写がメインな気がするけど、それってどうなんだろう…。

以下ネタバレ。


えっとね、私の中で受けはね、いわゆるおかまキャラなんですよ。私は、おかまって男のようで女のようでどちらでもない、ていうパフォーマンスを可能にしたアイデンティティーだと思ってるのですが、この受けキャラも男でありながら女のアイデンティティーも併せ持つ、というキャラ。男・女制の両方をまたがった存在なのね。

受けは郭の中で生まれて、花魁の母に育てられた。彼にとって遊女は内側の存在なのね。そして、半ば女としても扱われてきた。そんな彼にとって、自分が遊女として生きる事は、一般的な育てられ方をした男たちとは違う意味を持っていた。
幼い彼は母に男と女の違いについて問いかけます。そして、「自分も花魁になるの?」と聞くのです。母は「なれない」と答えますが、「花魁になりたいのか?」と問うと、遊女の苦しみを知る暁芳は首を傾げます。幼い頃から遊女の身の辛さを見ていた彼に、母は言います。

 「お前が可愛くて、手放したくないのはもちろんだ。だけどそれだけじゃあないんだよ。あたしはね、暁芳。おまえに見といてほしい……郭で働く女たちを、まだ曇りのないその目でよっく見といてほしいんだ。この苦海で女たちがどう生きているのか……本当の姿を知る男が、この世にひとりくらいいてもいいと思ったんだよ」
[…]
 「だからおまえは男の子でなけりゃあいけない。女の格好をしてはいるけど、自分が男なのだということを忘れちゃいけないよ」

彼女にとって息子は男でなくてはならなかった。遊女にとって男は買う側の「客」であるけれど、郭で生まれ育つ一人の男として、彼は郭の女を見つめる「男」でないといけない。

そして彼は、紆余曲折あって遊女となる。誇りある遊女としての矜持を抱えた、しかし男である暁芳。母にとって彼は、遊郭の中で断絶される「男と女」の架け橋的な存在だったのかもしれない。
しかし、彼は遊女であって、また男でもある。遊女の苦しみをその身に味わいつつも、遊郭の中で仲間の女たちに爪弾きにされることもあった。遊女と男。この相容れないアイデンティティーを持った彼にも、やはり男と女の断絶は、諸々あったのね。たとえ同じ立場に立とうとしても、必ずしもそこに共通の絆が保たれるとは限らないわけ。
そもそも、身請けという制度があったり、遊女間にも格差がある中で、男と女の断絶だけが単純にあるわけじゃない。そして、客であり身を売らせる側である男が女たちの絆を裂く場合もある。絆と断絶は複雑に入り混じる。

そしてその絆と断絶は、間主体的問題だけでなく、彼の中のアイデンティティーの問題としても浮上する。
暁芳は貴師に身請けの話を持ち込まれる。だが。

 「受けてくれるか」
 「いいえ、できません」
 […]
 「子供の頃も、十四で売られてきてからも、私はたくさんの不幸な女を見てきました。本当に、ここじゃあ水無月の雨のように不幸が降ります。身体を壊さずに年季が明けるものは少ない。心を壊さずにすむ者はもっと少ない。その中で、いい旦那に出会えて身請けされる者など……ほんの一握り」
 「ならば……」
 […]
 「南条さま……私は女でしょうか?」
 ふいの質問だったが、迷うことはなかった。華月という遊女は、暁芳という男だ。本質は暁芳にあり、貴師が欲しているのも暁芳なのだ。
 「男だ。……おまえは女の強さと、男の強さの両方を持つ、稀有な男だ」
 「……その言葉を聞いて私がどれほど嬉しいか、きっとあなたにはわからない」
 […]
 「貴師さん―僕が本物の女だったら、たぶん喜んであなたに身請けされたでしょう」
 […]
 「でもね、僕は男なんです」
 「わかっている」
 「自分の借金は、この身で返す。それが僕の男としての矜持です」
 […]
 「ええ。貴師さんが優しさから仰って下されるのは承知しています。でも、結局は同じことです。郭に買われるか、誰かに買われるか―僕はもう決めたんです。この街で、母が生きた吉原で、志乃姐さんが生きた吉原で、やっていきます。それが吉原唯一の、男花魁の生き様です」
 遊女の装いをした、一人の青年が決然と言った。

断るしかなかった。男の矜持もある。そして(彼は貴師に告げなかったが)更には身請けされる遊女の悩みの種もある。

 客に惚れれば遊女は地獄―。

暁芳も、貴師との関係の中で遊女と同じく、その苦しみを背負う。

暁芳の姉役の志乃花魁もまた、間夫(恋仲)がいた。けれど、彼女の間夫は他の女と婚約をした。彼女は最後だと彼に会いに行く。けれど、彼女の末路は悲惨なものとなった。
そして暁芳は、死んだ彼女が張るはずだった花魁道中を勤めることになる。

 華月の裲襠は襦子の三枚襲、前帯はきらびやかな錦に緞子である。[…]
 その中、一番上に纏った裲襠だけが異彩を放っている。
 […]
 「鬼……、い、いや。夜叉だ―。驚いたな。表は菩薩、裏は夜叉かよ……」

母の通り名である菩薩と、遊女が背負う夜叉の貌。それらを纏って花魁道中は張る暁芳。

そして、花魁道中の最中志乃の間夫だった男が遊女を揶揄する。そこで暁芳は我慢ならず、啖呵を切る。

 「わっちらァ、この身を売って、手練手管で男を騙す。はて、騙すが悪いか騙されるが悪いか。ここはどこじゃ? 色街じゃ。まともじゃないのはあたりきしゃりき、それじゃあ聞くが、旦那はどれほど上等なお人ですかね。見たとこ大店の若さんだ。さぞかし景気もいいご様子。両肩に借金しょって、色街にどぶりと沈んだ女郎に比べ、あんたはどこがまともなのか、説明していただこうじゃあないかッ!」
 華月の啖呵が晴天に昇る。
 声が、ふたつ重なった気がした。……あるいはみっつ、華月と志乃と母と。
 いいや違う。もっとかもしれない。
 この街に沈んだ女郎達すべてが、華月の口から迸る言葉に心を寄せていた。あるいは、女郎ではなくとも、心ある人間ならば―もし自分が貧しかったら、この街に売られる身だったらと思い描けるまともな人間だったなら、華月の言いたいことはわかってくれるはずだった。

幻想かもしれないが、誰もが共通の可能性を持っていたかもしれない、という「共感」が、一部的ではあるけれど、断絶された絆を築いてくれているというシーン。
なかなか感動的でした。


結局暁芳は貴師に背を押され自分の幸せを探しにいくのだけれど、そうする中で、彼は幻想かもしれない絆を担保に、どのようにして「男として」生きていけるんだろう。彼はかつて遊女として生きており、更には同性とのパートナーシップを持っているわけだけど、そんな彼の中の「男と女」の係わり合いは、異性愛者やネイティブジェンダーとも異なってくるだろう。そんな彼が様々な絆とどう向き合っていくべきなのか…。
その答えは、攻めと受けの強い絆に護られて隠れちゃうのだけど、そんなことを思いました。