「ゲイでも男同士の友情は成立するか」というバカな議論。ネタバレ

このコミックス、ちょっと大事な(?)話を書くのを忘れていたので追記。…というか最近パロばっか読んでてBL商業誌レビューが出来ないってだけでもあるんだけど。。。
そんな現状ではありますが、たぶん月始めには新刊をどっさり読む事になるだろうから、その時までちょっとBLレビューではなく他ジャンルも取り扱った同性愛・同性愛者表象の書評(と言うほどでもないけれど!)を書く予定。…と威勢のいい事を言ってみたはいいものの、私の事だから予定崩れになる予定、ゆえに要注意。

青春・ソバット 1 (IKKI COMICS)

青春・ソバット 1 (IKKI COMICS)

えっと、実はこのコミックスで書いてみたいことがあるのだけど、ちょっとどう話を切り出せばいいか悩むのです。なので、まずはいつもお世話になってる(+最近超ご無沙汰、新年も結局挨拶してないよ!オレのバカ!)みやきちさんの、「男女間の友情論」騒動を巧く皮肉ったこのエントリを貼らせて頂いてから、書いてみたいと思いますデス。
大ノンケ帝国は謎がいっぱい - みやきち日記
さて、まずはこちらのエントリとリンク先を参照してもらいつつ、「男女間の友情論」について少しだけ話してみます。
ちなみに私も「男女間の友情論」についてモニョモニョ書いたことがあったのだけど、恥ずかしい駄文なので載せないー。だけどそれを簡単に要約すると、
(「男女間の友情論」は)
1.時間軸の設定を忘れている。
2.非異性愛者の視点がすっぽり抜けている。
3.自分(の欲望の持ちよう)を他人と同一視している。
という感じ。
でも、別にここまで詳しく考えるまでもなく、この議論がおかしなことは少し考えれば誰でも気づくはず。だって、実際に男女間に友情は成立しているのだから、今更「男女間で友情が成立するか否か」を議論する理由がどこにもない。最初からわかりきったことを議論しても時間の無駄。

で、これと類似した問いかけが、この『青春♂ソバット』にあるのね。コミックス中盤で(<有田がデート商法事件を起こすあたりね)、白州が見た夢の内容がソレだ。

有田「俺の事…マジどう思ってんの? 『男と男の友情』って、ゲイでも…お前はアリな訳?」

これは白州の夢に有田が現れて問い掛けるシーンです。で、私はこの台詞を読んで、こう思った。
……、…?……q(・ε・;q) ))) ((( (p;・Д・)pオロオロ
いや、あの、実際にゲイでも男同士の友情は成立してるじゃん?“白州が”“有田に”対して「友情の成立」が出来るかどうかを問い掛けるならまだしも、なぜに大枠で「ゲイ」云々って話になるの???

ちなみにこの場面は、有田を襲う危機を救うかどうか、救うとしたらそれは友情故か恋情故か、といった白州の葛藤が表れたところなのね。この葛藤とその(後の展開で明かされる)答えを読む事で、白州が抱く有田への想いが読み込めるのね。

さて、この表現において白州は自分たちの関係性が「友情か否か」という「男女の友情論」と似た問いかけに直面している訳だが、この問いかけがおかしいのは、たとえ白州が有田をどのように思っていたとしても、その事実が直接「ゲイには男同士の友情は成り立たない」とか「成り立つ」という“結論を導かない”事を隠蔽している点だ。だって、白州の恋愛模様=ゲイの全実態ではないし、あくまで白州の感情は白州の感情であって、「友情の成否」の論拠にならないもの(十分条件ではないってことかな?)。<てゆか、だから既に成立してるでしょ、っつーねw
ゲイでもレズビアンでもバイでもヘテロでも、性対象との友情が成り立つ時もあれば恋情(恋愛)が成り立つ時もある、ただそれだけのこと。たとえば、とある一人のヘテロが偶然異性の誰かと友情が成り立たなかったとしても、その事象だけで「ヘテロに異性間の友情は成り立たないのだ!」と結論付けられるのかと言うと、答えは否のはず。


話を戻すけど、この問いかけに対する白州の答えはコミックス終盤にて出されるのね。結果から言うと、白州は有田との「友情を成立させた」。
なのだが、ここで興味深いのは、白州の出した答えがあたかも「ゲイに男同士の友情は成立しない」という偏見を否定しているように見えるの“にもかかわらず”、

「自分のセクシュアリティーの対象となる性別の人に対しては、『欲情する』『疎遠でいる』の二通りの接し方しか考えられない」〔…〕 「他の人も皆自分と同じに違いない」

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20060901/1157089878

といった偏狭な前提を保持しつづけていると解釈できる点だ。<え、誤読っすか?


あ、ちょっと物語の説明をしますね。有田は夏休みの間、クラスメイトに誘われてデート商法のバイトを始め、あるゲイ男性をカモにした。だが実は、そのゲイ男性は「カモったつもりの詐欺師をカモる」という噂の人で、有田はそのゲイ男性の罠にまんまとかかり、薬を盛られてあわや強姦されそうになるのだが…、その男性は趣味の悪いお人でして、そこに白州を呼び出す。有田を犯されたくなかったら今から呼ぶ場所に来るようにと指示した訳ね。そんで、白州は言われるままに有田の身代わりでその男性とセックスしようとするが、そこで男性に「どうして助けにきたのか、やっぱり彼の事が好きなのか」と問われる。で、白州の応答はこんな感じ↓。

「強いて云えば有田と…友達でいる為かな。〔…〕こいつにどういう彼女が出来るか知らねーけど、それで彼女に笑われたとか喜ばれたとか、俺は最初にどうだったって報告されてーんだよね。友達として。そう言うスタンスで俺はずっといてーから、有田にゃ普通に彼女が出来るまで変な事されたくねーってだけ。」

この発言の意味は、単純にヘテロの友達に幸せな交際をしてほしいという白州の気持ちを表したものだと読める。だけど妙なことに、有田に「彼女が出来ること」と「ゲイセックスしないこと」が白州の“友達としてのスタンスを保つこと”となってるようにも読めるのよね…。
誤解を恐れず言うと、もし有田が同性とセックスをしたら、それはある意味彼の中のヘテロとホモの境界線が曖昧になる事だと言えるかもしれない。とは言っても、人のアイデンティティーはそう簡単に変わらないはずだし、セックスと言う「経験」が一部の同性愛者の経験と少なからず重複するのみ、といった限定的な意味だけどね。そして、その「経験」という一個の軸において、ゲイである白州とヘテロである有田の境界線も曖昧になるとも言えるのだろう。しかしそれは白州と有田が性的な関係になるという意味では、ない(当たり前)。・・・なのだが、白州が懸命に有田のヘテロなモノセクシュアリティを守ろうとする姿は、まるで「ヘテロ」と「ホモ」という背反的であるはずの区分を守る事で、お互いが性的な関係ではないことを証明しようと試みているかのように映る。
「自分のセクシュアリティーの対象となる性別の人に対しては、『欲情する』『疎遠でいる』の二通りの接し方しか考えられない」。
そういう前提があるゆえに、有田が同性に強姦されるのを防ぐことに「友達でいる為」という動機が持ち出されているように、私には思える…。そりゃあ友達として放っておけないのは分かるけど(<放っておいたらそれこそ友達甲斐なさげだ。)、有田に同性間の性経験がアルかナシかは、ふたりが友達である事実と直接関係はないはずだ。ないはずなのに、今回の「友情論」みたいな文脈における白州の言動には、まるで「(たとえ自分とセックスした訳じゃなくても)お互いにホモセクシュアルな要素(経験)があると友達でいられなくなる!」という強迫観念が働いてるかのようだ。それはゲイ同士では男同士の友情など成り立たないという思考とも似ているのではないか。


ともかく、白州には有田の“彼女”との恋バナを聞くというスタンスでしか友達でいるビジョンが見えていないようだ。それでは、有田の“彼氏”との恋バナを聞くというスタンスは白州の中にはないのだろうか…?(<もちろん強姦を企んだ男性との恋は可能性薄いから、他の男性が相手になるだろうけど)
なぜ、“彼女”でなければならないのだろう?なぜ、有田にホモセクシュアルな経験があるとそれだけで友達としてのビジョンが見えなくなるかのように語っているのだろう?

ゲイ同士でもレズビアン同士でもヘテロ同士でも友情なんて成立して当然って言うか、皆がみんな、同じセクシュアリティ間でいちいち欲情恋慕してたら身が持たないって言うか、とにかく非現実的なんだけど、性的な欲望が存在する磁場では友情は成り立たず、性的な関係しか残らないという摩訶不思議なファンタジーはなぜか世間一般に共有されていると思う。白州も同様に、「ヘテロ」と「ゲイ」というエロチシズムがない(と信じられている)磁場にしか男同士の友情が紡げないという観念を抱いているのではないか。そう思うと、なんとも苦々しい味わいが残る物語だ。

さてはて、他の方はどう思うだろう…?


ところで、欲情したら友達じゃないというのが真実なら、私にはますます友情と恋愛感情がわからなくなるな…。てーか、男だったら/女だったら(つまり自分の性対象だったら)誰にでも何にでも欲情できる人がいたとしても、その人だってフツーに友達を作れると思うのよね。
ま、友達とか恋人とか名前はどうでもイイ方なんだけどね、私。頭悪いからよく分かんないし、割りとどうでもイイヤ。<オイ

あー、また長い駄文になった。でも今日はとりあえずこれでいいや。