たしか、「GANTZ」を10巻くらいまで読んだはず…。

実は先日からGANTZ 1 (ヤングジャンプコミックス)の書評をしたくてどう書こうかと迷いつづけてたんですが、結局考えが纏まらなくてズルズル今になっちゃったんですヨ…。ちなみに私はコミックス10巻くらいまで既に読んでて、雑誌でも和泉による新宿事件までは追っかけてたので、実質11巻までのストーリーを把握しているはず。

じゃあ何を書こうとしてたかって言うと、いくら考えても「このマンガは大変同性愛嫌悪的である」みたいな身も蓋もない単純な内容になっちゃって(笑)、そんなの読んだら誰にでもわかるよ!みたいな…。だけど私としてはガンツのバイオレンス要素とそうした差別的表現が癒着関係であるように思えたので、作品世界を批評する事で「ではなぜこのマンガは同性愛嫌悪的なのか、ソレが生まれる背景には何があるのか」みたいなことを解釈したかったのです。だけども、ちょっと私では力不足でした…。
そんな訳で中途ですが、とりあえずメモだけ書きとめておく。

死んだはずの人間、玄野達が体験する奇妙な物語。 一度死んだはずの人間達が、閉じ込められたマンションで、謎の黒い球(ガンツ)から指令を受ける。拒否は出来ず、逃げれば死ぬ、戦う相手は得体の知れない宇宙人…。 玄野達はこの非現実的な世界で生き延びる事が出来るのか!?

http://yj.shueisha.co.jp/manga/gantz/

謎と謎に覆われたスリリングでグロテスクなSFアクション(そして、球体・ガンツと物語の全貌を知るキャラクターは、一人として登場しない)。まるでギャグのような設定と、奇妙・不気味・不穏な世界観で繰り広げられる死闘は、「宇宙人」との戦闘と言うよりは<異形の者>との戦闘と言った方が、その怪しさを理解できるかも。
このマンガの大きな特徴はバイオレンス要素とパロディー的な趣向だと思う。通常なら即死の衝撃を受けてもある臨界点までは耐えられる特殊スーツと、目には見えない“何か”で対象を破壊する各種武器。この武器は「ギョーン」と怪しげな音を発した後、時間差で打った対象物を電子レンジにかけたように破裂させてしまうという代物だ。
この、目に見えない暴力は、ガンツの指令以外に主人公達の<日常>においても(非参加者に力を秘密にするという制限付きで!)使用可能だ。主人公を始め、ガンツ参加者はその武器とスーツを使うことで、自分の生活においてあらゆる他者を超越した存在者になれる訳だ。
武器だけでなく、ガンツの指令を受けて戦闘する際には、参加者の姿は見えない…。こうして彼らは超越的な暴力を一般社会に“潜ませる”形で生き延びるのだが、しかしガンツが執行するゲーム(と言うにはあまりにも凄惨だが)による被害は、ゲーム参加者だけにとどまらない・・・。宇宙人の校内虐殺事件や、転校生・和泉による新宿無差別虐殺事件では、参加者以外の一般人までもがガンツの被害者となってしまい、このマンガのサバイバル要素がより顕著になってゆく…。この事件が起こる事で、たとえガンツのあらゆる力が一般人の目には見えなくとも(!)暴力は確かに存在して現実に影響を及ぼしている、という事実が浮き彫りになるんだ。
更に、先に書いたようにこのマンガには(私達が良く見知っている)マスコット等と酷似したキャラクターが多数登場している。引用文ではガンツの世界を「非現実」だと言っているけれど、この演出によって私達の現実社会(日常)と『ガンツ』作品側の世界はリンクされているのだと思う。

そして、このマンガの無規則的な展開として新たに現れるのが、超能力を持った少年達だ。超能力者もいわば<日常>的な暴力を超越した存在者であり、ガンツ参加者と同様に特別な位置にあると言える。

この世界では、暴力の位相が超越的存在者をモデルにして出来上がってるっポイのね。
たとえば、いじめられたピンチの人を救うために現れる正義の脇役がいたのだけれど、このキャラクタはあっさり悪役キャラにボコボコにされてしまう。その様はもう滑稽とさえ言えるけど、この辺りを見るとわかるように、このマンガは正義に基づく暴力と悪に基づく暴力に主観的な評価をしないのね。「正義が勝つ」のではなく、弱いものはただ負けるし、場合によっては死ぬ。更にそれに加えてガンツ暴力装置は下位と上位の暴力基準を作っている。要するに、このマンガからはより強い暴力が支配する世界観しか読み取れないってことだ。

それからこのマンガで面白いのは、ガンツ参加者のほとんどが死んでから再生されているという設定。
ガンツにより肉体と精神を再生された彼らは誰もが一度死んで居るはずなのに、実はガンツちゃんはかなりいい加減なので、死なずにかろうじて生き残った者の肉体と精神を誤って再生(というか新たに創造)しちゃってるケースも見られる。つまり、死なずに生きている人物Aと、ガンツによりオリジナルそっくりの人物Bが同時に存在する事態が起こっているんだ。
ここに「自分とは何か?」みたいな、かなり危げなアイデンティティーの不安を感じさせられるのね。<しかもどういう仕組みかも不明。(注:ゆえに上の解釈は私の解釈でしかない)
自分はガンツによって作られた贋物なのか、だとしても現にこうして自分は自分として生きてしまっている…、と。
ね、不気味で恐いでしょ。
おそらく『ガンツ』のキャラクターは全て戦闘のための駒でしかないのだと思う。


さて、私が見た限りで作中には同性愛者(ゲイ)と思われるキャラクターが二人登場する。一人は、(明らかにマスコミイメージである)アキバのオタク然とした男性に見惚れる美形少年。もう一人は、生徒のイジメに荷担している容姿が濃い目の教師。
美形少年君はガンツに「ホモ」であるとアウティングされて周囲からドン引きされちゃうのだけど、「違う!誰がお前らなんか…!(<「オタク然としない男性なんかに惹かれない」というニュアンス有り)」と慌てる様が滑稽に描かれている。そんな彼にはストーカー女性が付きまとう。この女性が一見サダコさんそのものなのだけど、実はかなり美形。二人とも笑いの対象として描かれているものの、最終的にはキスしてから二人折り重なり死んじゃいます。その死に様はヘテロチックに絵になっていて、表面では「ホモ」と笑いながら二人の容姿と言う資源をきっちりマンガのエンターテイメント性に使っているあたり、なんともカグワシイ雰囲気。
ま、なんと言いますか、「ホモなんかじゃない、お前が好きなんだ」と類似した表現かもしれないですね。

教師の方はと言うと、彼は、ある一人の自殺願望を持った少年のお話で登場する、単なる脇役だ。少年をいじめている生徒達がまた悪辣で、「ホモ」の教師にフェラをすることを強要する。教師は教師で、いじめている生徒たちに「ホモ」と笑われながらも、ただ喜んで少年に口でされるのを期待するだけ。

…………はい、もちろんこのマンガに同性愛者の読者が読んで自己の尊厳を回復できる要素は一切ありません。


繰り返すけど、このマンガは超越した暴力と日常に潜む暴力とが混在する世界観を提示している。まるで私達の日常に更なる暴力のスパイラルをもたらしてあげるよと囁きかけているようだ。思うに『ガンツ』とは、現実社会に危げな願望を投影させたマンガなのかもしれない。

ところで、私は元々こういう嗜虐的で理不尽な設定を好むけれど、このマンガを読んでもなぜか今ひとつ興奮できなかったです…。
…あのさ、このマンガを安心して読める読者って限られてくると思うのですよ。もちろん、死者であり贋物かもしれないという、アイデンティティーの不在に不安を感じない読者はいないだろうけど、それにも増して、一般のモラルの通用しないガンツの世界では女性への性的な視線はあからさまだったし(「死後の世界なら欲望のまま行動しても良い」という心理)、また、上記の例のごとく同性愛者は笑ってもいいんだという空気もあからさまなのよね。これについてはなぜあからさまになっているのかは定かじゃないけれど、それはともかく、こんなマンガで一応の安心を得られる人はおそらくマッチョでストレートな異性愛男性ぐらいではないかと邪推します。
そうそう、それからこのマンガでは暴力的な男性性も見られましたね(ガンツゲームで主人公が発揮する自己の凶暴性と、見えない暴力を持つ事で得られる全能感や優越感とかね)。


今思ったけど、私が一部の青年向けマンガが苦手なのって、こういうマッチョな世界観が少なからずあるからかも。かといって少年誌にそういうのがなかったかと言うと、全然そんなことはないし(ワシの好きなリボ〜ンにもあるはずだしね)、BLにだってあるよね。
ともあれ、私には『ガンツ』はちょっと許容できない。だって、あれにはマイノリティが生き残れる保障がどこにもないもの。主人公は一応スーツがなければ弱者だけど、彼の暴力的な男性性と凡庸な狡猾さは、やはり強者の持つソレだ。新宿無差別虐殺事件で、いじめられていた少年が最後の方まで生き永らえたのも、結局は超能力のお陰。言うなれば、この世界でモノをいうのは暴力なのだ。世の中じゃお金がものをいうのよ!、みたいな感じにね。
そして、コミックス序盤では生き残っていた『ガンツ』の良心的存在である加藤君ですらも、やっぱり弱者を守りきれなかったし…、この世界では力のない奴は笑われても犯されても殺されても文句言えなさそうだわー。
つまりはそういうマンガ。…身も蓋もない感想だけど。
しかし、このマンガってやたらと幼稚な全能感を与えるオナニーマンガだよなぁ。それでも、もうちょっと品があれば好きになれたかもしれない。


ああ、そうそう。あんま関係ないけど、今ちょっと好きな作品があるのですよ。それは可愛らしい野球少年らがいきなり死闘に巻き込まれるという理不尽な設定なのだけど、彼らの必死さとひたむきな愛情が交錯して…、なんかすごい感動しちゃうのですよ!<悪趣味w
でもそれはあくまで「予告編」を見た限りの感想なのです。そして、私はその本編を見たくないなぁと思う訳です。「予告だけ見て自分で妄想した方が楽しいや」、と。他人が作ったものだと自分の地雷を踏む羽目になるし、落ち着けないからね…。いやはや、自分の思い通りには行かない世界って恐いものです。

……ああ、そうか。『ガンツ』も自分の地雷を踏む系だっただけで、他の暴力なら許容できるってことなのかも。

所詮、人は自分が痛くない暴力なら看過出来ちゃう生き物なのね、とか言ってみる・…。