その箱の中に、好きなだけ。

ビューティフル・サンデー (ショコラノベルス)

ビューティフル・サンデー (ショコラノベルス)

何で俺なんか好きになったんだ――バカ。

あらすじ。

恭輔は大企業に勤める野心家なエリート。専務の娘と婚約し、順風満帆な人生を歩んでいた。出世コースの一端として大阪支店へ二年間の転勤が決まり、東京を離れる前夜、恭輔は婚約者の弟で高校二年の小鳩から突然、恋を告白される。恭輔は適当にあしらおうとするが、偶然小鳩に弱味を知られ、「大阪にいる間限定の恋人」という立場を許す羽目に。小鳩が週末毎に恭輔の元を訪れる、奇妙な遠距離恋愛が始まる。最初は小鳩を邪険にする恭輔だが、危ういほど素直で純朴な小鳩に惹かれ始める。だが小鳩は恭輔に重大な真実を隠していた―。

職業モノみたいな感じで、化粧品の企業でのし上がる野心家の攻めの話。少し、そういう仕事方面の色が強かったせいで、愛人、…じゃない恋人の受けのキャラクタ性を存分には楽しめなかった。
それは非常に痛手にもつながるので注意が必要な描写だと思った。受けと攻めとの心情のつながり方を何よりも緻密に描いて欲しいからね、こっちは。

ちなみに攻めさんはこんな人。

 社内での評判とは異なり、実のところ恭輔は品行方正な性質では、まったくない。
 この同僚とは、何度か寝たことがある。
 恭輔は女も嫌いではないが、どちらかというと男の体の方が好みだ。体の仕組みがまったく同じで、快楽を追うことが容易いからだろう。何より、愛だの恋だのロマンティックな部分をすっかりすっ飛ばして、フィジカルな欲望が優先されるのが簡潔でいい。概して同性同士の恋愛では相手に事欠くものだが、恭輔は見栄えがよく、遊び上手で、何をするにも堂々としていてスマートだ。遊び相手困ったことなど学生時代から一度もない。
 世間体を慮って見栄えのいい女と交際しながら、さらに同性の遊び相手を常時三,四人キープしておいて、恭輔の都合のいいときに呼び出し、ベッドを共にする。遊び相手たちはたいてい恭輔にぞっこんになるので、どんな身勝手なことをしても文句など何一つ言われなかった。
 

恋愛に対してあまり執着はない。今回の作品は、どちらかと云うと、バイフォビアが目に付いたかな。

そいで、弱味をひょんなことから握ってしまう受け。それを利用するときの受けが、攻めが今まで遊んできた相手とどの程度真剣みが違うのか、最後らへんまではよくわからなかった。そのせいで、魅力的な第三の男、大阪支店での攻めの上司に目が行ってしまう感じで少しバランス悪いんじゃないのかな。だって第三の男、魅力的なんだもの!鼻持ちならない攻めとの相性がよいし!こっちとくっ付いたら、攻めが急にヘタレワンコ攻めに変貌して面白かったのにな!と思う・・・。


受けをもっと魅力的に!最後らへんまでは、ただの最高級の男に熱が上がっただけの少年みたいだったよ。
Hは程よい感じのテイストでした。ちょっとここでも攻めが鬼畜。
職業の描写はしっかりしてましたよー。受けとの関係で、仕事が左右される部分もあり、工夫が見られてたー。全体の構成も展開も悪くないっす。
でも、私個人的には、姉と弟の愛憎劇見たかったので、姉さんがずさんっぽいキャラクタで、あまりそこらへんの葛藤がなかったのは残念;;


以下ネタバレ。
・・・の部分は明日書く。て昨日からこんなんで申し訳ない。

小鳩は、恭輔にあまりに多くの嘘をついていた。家族との関係。彼との不可解なやり取り。そして、恭輔に会いに行くためのその手段。交通費の工面だ。

彼には自由に使える金があまりなかった。だから、東京大阪間の交通費を稼ぐためには自力で何とかするしかなかったんだ。
小鳩は、恭輔とするようなことはしていない、と言いながら、ついに問い詰められることになった売買春の事実を明かした。
なぜ?と問われても、小鳩にはそうする事しか出来なかった。「お金がない」なんて、恭輔にだけは言えなかったのだ。だから、自分で工面した。

 「知らない!知らない!何で恭輔さんが怒るのか分からない。俺の体は俺のものじゃないの?俺、誰にも迷惑かけたりしない。家の中でも、学校でも、誰に嫌われても誰に会えなくても構わない。でも週に一度だけ、好きな人に会いたかった。そのために怖い思いをするくらい何でもない。体なんてどうだっていいんだ」

そう言われて、ただ苛立って平手打ちするしか出来なかった恭輔。


その後、恭輔は上司である周防と酒の場でそのことを話す。
周防の話はこうだ。

 「自分を切り売りするねんからな。モノには、限りがある。容易な売春が怖いのはそこや。それこそ愛って何か、なんて理解ができる前に磨り減ってしまう。そうやろ?」

その後、恭輔は、小鳩に愛を告白する。愛してるから。愛してるから、自分を切り売りするのは痛くないなんていわないで欲しい、と語る。自分が痛いからと。悲しむからと。
なるほど、売りがいけないとされるのは、そういう理屈があるからか、と思った。周防の売春行為に対する理解は、固定的で狭い領域でのケースしか想定してないが、実際に売春行為をする彼彼女達は、様々な理由でその行為をするだろうし、その行為が本人にとって可能なのも、一概に自分をないがしろにしてるからと言うわけでもないと推測する。
周防が言うような、会社員としての仕事との比較として切り売りする行為とは違う、と云う理屈は通らない。が、この場合重要な点は、その行為自体の是非ではなく、プライオリティの話として、二人の愛がその行為を否定するというものだ。

 「痛かった」
 小鳩は静かな声でそう言った。
 「今、恭輔さんの涙を見たら胸が痛くなった。俺、恭輔さんに悲しい思い、させたくない。泣かないで欲しい」
 「お前はもう、俺の中の一部で、お前が傷つくと俺も傷つく。お前が悲しいと俺も悲しいんだ」
 「それは、俺のことが好きだから?」
 「ああ」
 「俺のこと愛してくれてるから?」
 「……そうだ」

私的な領域は、そう無条件に共有できるものでもないと思うが、この場合にそういう揶揄は意味がないだろう。二人の間には、互いの愛がシンパシーとして共有されてるんだ。
買売春は、何がいけないかの倫理を、なかなか他の職業として分離して考えられないから、比較してどうこうと言えるものでもないと思う。私も何がいけないのか、問題点があるのならどうすればよいのかわからない。私に分かるのは、私自身の実感も含め、性に関する人の心理心情とはとかく繊細な場合もある、と云うことのみだ。

けれど、二人の前では買売春は、愛の抵抗力としてその愛と天秤にかけられる。その中で、ふたりの愛を損ねるものとされたとき、その行為は何よりも変えがたい愛というプライオリティとの比較により、行為の選択肢を否定されるのだ。
それは、売買春を直接否定するものではないけれど、唯一、明確に二人の間でその行為がなされるべきではない動機・根拠となる。そうして、ふたりの間においては、その行為は完全に否定されるんだな。


そういう風に考えれば、愛>売買春という比較の際、その行為自体を否定するのではなく、一個の選択肢として、その行為の是非が問われることになるのだ。自分達の根幹たる最重要視するべき愛。それが彼等の関係の核であり、今となっては彼等と言う人生そのものになった。その愛を中心軸に常に物事を捉えるなら、買売春もまた、愛との比較により否定される一個の事項というだけのものとなるのだ。


ふたりは、お互い似通った部分があり、共通した弱さがあった。それがゆえに、不器用な一面を持った。その一面に自分とのシンメトリーを見出す。彼を愛することは自分をも愛すことになるんだ。いや、そうしなければ、彼等の愛は唯一のプライオリティにはならない。


 「愛って何?そんなものが本当に存在するなら俺に見せてよ。愛って何か俺に教えてくれよ。それが出来ないなら俺に何も命令しないで!」

そこに答えはないんだよ。
自分が自分達の為にそこに何の意味を見出すのか、愛の中身はその行為のための空箱に過ぎない。
周防が言うように、小鳩は何も、愛と言うものに解説を加えて欲しかったわけではない筈。ただ、一縷の望みとして、恭輔に答えを貰いたかったんだ。他の誰でもない恭輔の答えを聞きたかったんだ。

箱の中に何を詰めるかは、ふたり次第。それは、ふたりの間のその関係を結ぶためにある。自分達の為に、ふたりをどのように繋げて生きたいのか、そのひとつの答えとしてそこに置かれてあるんだ。

自分達のための互いの結び目。その箱は、その自分達の入れたいものを、詰めておきたいものを入れるための空箱なんだ。と思った。