愛とは語りうるもの・・・。

最近、実はビブロスの本ばかり紹介してるのですが、どれも入手困難でしょうから、買うなら古本屋等でお買い求めくださいね。
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馬鹿なことだが、はまぞうではアダルト指定されていてご紹介できません。今回はamazonに直接リンクを貼ります。

これ、結構私好みでした。短編集なのですが、一部好きな描写があったのです。
全体的に見て、この作品は愛というものが、どのように人間性を構築し語っているかと言った実態を描写したものと感じたっす。

ではあおりから。
あらすじ。

会社帰り、毎日同じコンビニに寄り、弁当を買って帰る。その端正なサラリーマンのことが、店員としてバイトをしている内に、いつしか気になりだしてしまう。
そして一方で、ある事情から彼をストーキングすることに・・・! 描き下ろし収録!

あらすじじゃまともに事情がわかりませんね。説明しますと、
(以下ネタバレ注意。)


主人公の攻めは、昔両親が離婚して父と離れて暮らすようになる。その父が死んでしまい、その父の家の荷物を片付けるために一時父の自宅に入り浸るようになる。そこで見つけたのは、盗聴器具を置き、あるサラリーマンの写真を壁一面貼り付けた部屋。
父はストーキングをしていたのだ!(そしてここではストーカーのことが、「変態」と呼ばれる)そこで興味本位に盗聴をしてしまう攻め。その盗聴先の相手は、自分のバイト先によく来るサラリーマンだったというわけ。
彼が受けに引き寄せられる。なぜか父にストーキングされていると知りながら盗聴器を外そうとしない受け。そして彼のミステリアスな私生活を知り、のめりこむ。父と彼との間の接点とは何か?自分は父の部屋を通して、そしてバイト先を通して、彼を欲望して歪んでいく・・・。なんだか狂気じみていて面白かったです。

ここで面白い会話内容がある。受けをレイプしてしまった攻めは、後悔の念にかられバイトを休みがちになる。そして、知人にそのことについて相談をするシーン。

「どうしていいのか分からない でも気になってどうしてっか気になって」
何度も何度も あのヘッドフォンに手が伸びそうになって 恐くて たたき壊した
「――なんだ、お前恋わずらいしてんのか」
「・・・え 違う だって俺本当は全然あの人のこと知らないし・・・っ 向こうも俺、知らないし 関係ないのに勝手にキレたり気にしてたりスゲー自分勝手で・・・」
「だからさ そういうの恋わずらい 大体愛情なんて最も利己的でみっともなく見苦しいもんだろ 恋愛の果ての怨恨ってのが一番事件になりやすい動機らしいしさ 愛して別れて泣いたり恨んだり で、また他の奴好きになって」
思えば 盗聴なんて初めから俺はあの人の人格を踏みにじってる
「それでも皆くり返して生きてくんだから やっぱ生きてくのに必要なんだよなァ」
踏みにじって 踏みにじって それでも

生きていく上では、生きているからこそ生じる問題を、孕み抱える。その問題とは、息をすることから生まれる問題であったり、社会で生活することから生まれる問題であったり・・・。そういう様々な問題性を抱えつつ、私たちはその“問題と私”の関係性のなかで、なにかを必要としたり、しなかったりする。
捉え方の転換だよな。生じた問題に無意味なことはない。その意味を、結局自分は通過“せざるを得なかった”と捉えるのか、ただ通過“してしまっただけ”と捉えるのか。
・・・しかし、たとえば私には恋愛は必要なのだろうか。それを考える事で、自分の抱える、抱え得る問題を認識することが出来るのかもしれない。


短編集なので色んな話があります。ある少年が探偵に無茶な依頼を頼み込む話。
その探偵は、もちろん子供のような受けに本気で相手をしない。けれど、そこで引き下がらず大金を押し付けて依頼を引き受けるまでは事務所に通うようになる受け。そんな奇妙な関係の彼等が親しくなる話。
その探偵の攻めには、かつて妻が居た。その妻は前の夫に捨てられた末に攻めと出会い結婚した人だ。その妻の言葉。

「これ以上猫が増える前に一匹くらい減っておくわ」

攻めは、やたらと捨て猫を拾う人だった。
攻めと受けは、親しくなり微笑を交わす。たこ焼きを受けから食べさせられるシーン。

「ホイ」
ぱく。
「うまいなー」
何やってんだろうね俺は

かわらないのよねその猫も あなた自身自分の気持ちがなんなのかわかってるの?
[・・・]
ああ また 分からなくなってくる
[・・・]
アナタ可哀相なら何でもいいのよね そうやって捨てられた猫をひろったみたいに夫に捨てられた私をひろったのよね 私は一体何人目の可哀相な女なの?
[・・・]
あなたのそれは本当に愛情なの?

妻の声が頭に聞こえる中、情動に掻き立てられキスをする攻め。

“愛情と同情” あなたの境界は何処にあるの?
[・・・]
何が違うのかわからない それでも愛しいと思うのは悪い事なのか

確かに「同情」と「愛情」という言葉は別物だ。では、誰か達の間にある愛情とは、一様なものなのか?その愛情とは、他人の痛みを自分のものと置き換え捉えるような「同情」でないのであれば、結局何を指す言葉足りえるのか?

同情されることが、或いは他の何かが互いの関係で重要なことであり必要なことであったなら、それを“愛情”と呼んで相手を想う事に、何ら差し支えはない。
それを不一致と捉えるならば、愛情を問い直すことになるのだろう。


一番好きだったのがGREENというとても短い話。
病院内の話だが。ある患者さんと患者さんの恋人、そして患者さんの周囲にいる別の恋仲である男性達の話。
その患者さんは、「能に直接プラグを埋め込んで植物状態の人間の感情を色で表現する装置」を取り付けられている。

「怒りや憤りを赤 憂鬱を青 穏やかな時を緑と単純に三パターンだが」

その3個の色でしか現在感情を表すことの出来ない彼。その彼を愛し続ける人がいる。彼の恋人は、なぜ緑なんだ!と食ってかかる。自分が何を話しかけても何をしても色が緑から変わらない。そう、いつも穏やかなのだ。彼が何をしてしまっても!

「―――今日 カフェレストランを爆破させて来たよ 覚えてるかな 二人で、最後の誕生日に食事に行った店 ――・・・来週はクリスマスに行った映画館を壊してくるよ」

それではまるで、彼が何も感じていないようではないか、生きてる証拠も何もないようではないか!果たして本当に自分の声は彼に届いているのか!

「―――・・・ 少しずつ 想い出を削り取っていく 時間を止めたお前を残して ――・・・さびしくない? それでもお前は緑のままなんだな」

しかし、患者の周囲に居る別の恋人たちはこう語り合う。

「ばかだなーーそいつ もし俺が上総さんを残して一人で眠ってたらきっと同じ事になるよ 三つしか色が無いんでしょ 一番近い色で貴方に気持ちを伝えるよ」

語る言葉が限りなく少ないのなら、せめて怒りや憤りでもなく、憂鬱でもない緑を“選ぶ”のだ。そう、なるべく自分の伝えたい愛情を表せる緑に託す。

ここで圧巻なのは、植物状態となってもはや恋人の前では緑の色でしか応えない彼の前で、恋人がひたすらに愛を告げるシーン。
そして、何度も何度も愛を告げる恋人の前で、眠る彼は一心に緑の色で自分の気持ちを伝えようとするんだ。


恋人は言葉を求めるあまり、彼の伝えようとする緑の含意を読み取ることが出来なくなっているんだ。そう、緑の色で彼が伝えたいのは、愛なんだ。
けれど、愛を告げるとは、どういうことだろうか?彼はもはや緑しか語る“言葉”を持たない。
けれど、そもそも私たちは私たちの持てる言葉の上でしか、誰かに何かを伝えることは出来ないんではないか。つまり、既に最初から“限られた言葉”からしか、私たちは気持ちを伝えることは出来ない存在なんだ。だとしたら、愛をそのままに伝えるとはどういうことなのか。いや、そもそも「そのまま」に伝えられるような気持ちなんて、無いんだろうな。だって、言葉は既に常に限られてあったんだもの。

たとえ私たちが緑以外にも愛を伝える言葉を持っていようと、その(一部的にしか伝えようの無い)『言葉』で伝えた以上は、その言葉では語りえない余剰の部分を吐き捨ててしまう。
私たちは常に100%を伝えられないジレンマの中にある。どんなに語りつくしても、言葉が言葉である以上、必ず余剰が伝わったのかどうかと言う不安を抱えることにならざるをえない。

だからこそ、伝えようとするんだよな。そこにある限りの言葉で。
たとえ、伝わらなかったとしても、想いを告げたいんだよな。

では、もはや何も伝える言葉も何も持たないとするならば?死んでしまったら?死んでるのと変わらない状態だったら?一体何をどうやって告げよう。―そこには、きっと伝えたい思いがあるはずなのに・・・。

患者の周囲に居る方の恋人たちはこう語る。

「痛い・・・ 悲しくて 辛くて苦しくて 愛しさで胸が痛い 皆――・・・ 幸せになれればいいのに」

ああ、これは私も昔思った。自分よりも苦しんでる人が五万と居る。その事実が苦しくって、「もう!どういつもこいつも幸せになっていれば面倒がないのに!」、と。
幸せだったらなにも問題は無いでしょ?そんな風に思ってた。これは結局、他人のことに非情で無関心である態度なんだよね。
でも彼が言った内容は無関心からの言葉ではない。必ず余剰として残る『想い』を、ちゃんとその胸で感じて愛しむ。たとえ、伝わらなくても。たとえ、漏れ零していたとしても。そこにある、取りこぼされるを得ない愛情などの想いに、ただ想いを馳せる。
それは決して、「面倒だから平和であれ」といった無関心からの“幸せの希求”なんかじゃない。惜しむ心が幸せを求めてるんだろうなぁ、と思って感動した。