ヘたれてこそ男の華さ〜。

ひゃー、またもや綺麗綺麗〜!皆さん美形過ぎて、ついでに「男」としてレベル高すぎて目がチカチカすらぁ!オサレ〜。
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読みは恋愛「コントロール」です。
これはビブロス時発行の『あなたの隣に座らせて』で脇役だったキャラ山代啓(受け)と奥村喬(攻め)の話です。ちなみに「あなたの隣に座らせて」は新装版で復刊されてます。リブレ出版商売上手です。
蓮川愛さんのイラストは美麗系なので私に合うかなぁと思ってたけど、読んでみるとけっこう美味しかったー。
あらすじ。

社長とインテリアデザイナーの大人の恋。
相変わらず駆け引きばかりで少しも素直になれないけど、実は甘々な奥村と山代。そんな二人の前に年下で魅力的なバーテンダーの笹谷が、現れて・・・!?
今回は人気の笹谷バージョンも一緒に収録された大人げシリーズ、第二弾!! 奥村と山代のショーと書き下ろし付きv

今後からハートマークはvで表現。ちくしょう。
帯。

ドラマCD『恋愛操作』&コミックス『恋愛操作』2巻発売記念v録り下ろしドラマCD「LOVER’S CHAIE」全員サービス!
素直になれない大人の恋v
手に入れた瞬間、臆病になる奥村と山代の恋の行方は・・・!?

BLレビュー。

クールビューティー受けとダンディー攻めー。
あーもうね、恋愛ゲームシーソーゲームてなもんです。オレッチは“いかにも恋愛小説!!”なBLは読む気しないんだけど、漫画でも世間での恋愛マニュアルの通りにシナリオが進むのは楽しめないんですよ。なんだけど、このシリーズは私の感性に合ってるわけでもないけれど、恋愛漫画としての基本がしっかりしてるので、好みでなくてもそれなりに読み応えはあると思います。(あくまで個々人によって評価は分かれると思います)
今回間男が現れたり、素直になれない不器用な性格の二人が擦れ違うのだけど、ベタと言えばベタ。そうなんだけど、しっかり描いてくれる作家さんのおかげで「大人の駆け引き恋愛ストーリー」が好きな人にはそれなりに楽しめる濃厚なシナリオになってるはず。
で、BLてどうも攻めばかりが駆け引き上手なんだけど、この受けも、ダンディーでスマートな攻めをちゃあんと翻弄できてるので、そこらへんが素敵でした。受けがしっかりしてるって結構重要だよねー。特にこういういかにも「恋愛ゲームしてます!」て感じの作品ならさ。
攻めに口説き落とされてほにゃほにゃになってるだけの受けじゃなくって、受けと攻めが主導権握りをマジでやってるあたりは、私も結構楽しめました。受けだってやられっぱなしじゃないんだぜ!て印象が、「“男”が恋をしてる」だけでなく「○○が恋をしてる」感を引き立てさせてくれるのよね。受けの底力って大切です。
正に大人の男性同士が恋愛の上で仕事の上で互いを認め駆け引きしてるって感じだった。
以下ネタバレ。

私ね、それでもあんまり「出来たオトコ」みたいな攻め好きじゃないのよ。御曹司だどうのとか貴族がどうのとか。

なんかこうグレード高い!レベル高い!て印象がバリバリの攻めがさ?スレンダー受けをしなやかに翻弄して「ああもうこの男には逆らえない、恋に落ちちゃったー」て思わせるように口説き落として、最後まで攻めは「出来たオトコ」としてだけ表現されるような作品って作品にもキャラクタにも個性を感じない。ただ単に「ふふふ、君と僕はこの恋に焦がれてしまうのさ・・・」「(うっとり)」みたいな感じに終わるような話って何が面白いのかさっぱりわからないのよ。
そういうのって結局アレでしょ?すごくレベル高い男に「オトコ」として恋をリードされてうっとりしたい少女チック(?)な願望かなえるだけの話なわけじゃん。要するにその場合の攻めは、あるひとりの男、じゃなく、ただただ「出来たオトコ」でしかないわけで、そこに一体どんな人間性があるのかわかりゃしない。

でもこのシリーズも一見そういう感じなんだけど、ちゃんと攻めもへたれてくれるので良かったです。

「・・・手に入れたと思った次の瞬間にはもうすり抜けていくんだな君は ・・・嫌われたくないから聞き分けの良いフリをして年下のライバルには余裕ある風を装って この私が、だ これが本気というやつか・・・」

とか言っちゃって、やってること高校生キャラと同じです。大人の恋とかいっといて、相手に惚れこんじゃったらどうしてもへたれてしまう攻めって割と美味しいよなぁ。これもギャップがいいんだろうか。
一巻目からこの攻めはありがちなキラキラしてるだけの奴とは違って、ちゃんと照れたりやり込められたりする攻めなので、好感持てました。私頬を染めない攻めはあまり好きじゃないので。

思うんだけど、男ってさ、いくら「格好いい」とか「逞しい」とかがポイントだとしてもさ、そういう男になりきれないへたれたところこそが魅力だと思うんだよねー。へたれてない男って赤シソ入れ忘れて漬けちゃった梅干って言うか、砂糖入れ忘れた洋菓子みたいな印象であまり美味しくないんだよねー。やっぱ男はへたれてナンボだよ。

nodada's eye

今回奥村×山代カプ以外にも笹谷×一之瀬カプもいたんだよね。
で、本作の攻めは、どちらも男としてリードする、ていう紳士の要素を持ち合わせたレベル高い男たちなんだけど。
男性ってやっぱり「リードする」ていうのが役割として担わされてるよねー。
で、そのリードする、て態度はやっぱり本来的に女性に向けられるものとしての役割なんだよね。だから、リードが出来る男であればあるほど異性愛社会で価値があると見なされるわけだよね。

そういうのを、BLで男性同士がやるのって、やっぱり
「攻め×受け」 が 「男性×女性」の図と一致することになる気がする。
リードする男が攻めになっちゃうと、いくら男性間での駆け引きであっても、そういう異性愛の図に回収されやすくなると思うのよ。その場合BLも男女の愛の模倣になっちゃう。(いや、別に悪くないけども。
たとえばこれ。

それはそれで問題じゃない? (新書館ディアプラス文庫)

それはそれで問題じゃない? (新書館ディアプラス文庫)

 女の子と付き合うときはいつも、頼り甲斐のあるところを前面に押し出して、ときには強引に振舞ってきた。けれど、建志にも同じようにしたいのかと問われれば、それは違う。『自分が今まで彼女にしてきたように建志にもしたい』ではなく、『自分が今まで彼女にしたみたいにされたい』というものだったのだ。
[・・・]
 建志を想い、初めて自分の手で慰められたときに、自分の中に潜んでいた本音には気づいている。普段は対等でいたくても、たまには可愛がって甘やかして欲しい。広い胸に全てを委ねて、今まで誰にも許さなかった主導権を明け渡し、リードしてほしい。
 そう思った瞬間、二人で抱き合うときの役割は自ずと決まっていたものだ。

(黒字部分引用者による)
このように、男がリードする、と云うこと自体が、同性愛の中にも異性愛を示唆させる(させてしまう)可能性がある。まるで、人の中には異性愛的本質が内在してるかのような印象を受けてしまうのね。

それなので、もしかしたらその表現が「ゲイって女になりたい集団なんでしょ?」みたいな偏見や、「同性愛は異性愛の模倣」という見方感じ方を再生産していくかもしれない。

でも、山代の場合、女性的な側面を持ちつつも、駆け引きの中で男性のプライドみたいなものが見れる(ような気がする)ので、リードする男が出てきたとしても、男性同士の恋愛が異性愛の模倣のイメージに回収されることが多少避けられると思う。そういう可能性には、僅かながら性別に与えられているイメージをかく乱してしまう効果があると思う。
けれど、一之瀬みたいなしおらしいキャラクタだと、比較的に女性性を見出されやすいと思うので、異性愛の模倣に回収されやすくなるかもしれない。このような状態が保たれてしまうと、「同性愛者は異性愛の模倣」というイメージが再強化されやすくなるのかも。男性を愛する、というポストは女性に与えられたものであり、男性を愛した男は女性のポストを乗っ取った者と見なされるからね。
そういう回収をいかに回避して、いかに同性愛の可能性と価値を見出すか。そのパフォーマンスってなかなか難しそう。

とくにBLでは、受けと攻めという役割分担が非常に多く強く担わされてるので、それが男性×女性の図と近似値になって「同性愛は異性愛の模倣」という見方を強化再生産させる可能性が強い。
そういう描写がいけないとは思わないし、そこにこそ面白い表現が生まれる可能性もあるかもしれない。けれど、BLがそういう偏見を支える一つの道具になりうることも、あるだろうとは思う。

私たちは身体に何らかの意味がある、と見なす感性がある。BLの中にも、「ペニスの本来の役割」は「膣挿入」だ、という表現はある。そういう身体へのまなざしは、しかし見方を変えればいくらでもズレるものでもある。ただただ現実を見るならば、ペニスをアナルに挿入することはペニスをアナルに挿入した、というだけだし。ペニスを膣に挿入することはペニスを膣に挿入した、というだけだ。それに何らかの本質的な意味がある、と解釈するのは私たち自身だ。

では、どう表現していくことが同性愛などにとってより抑圧的にならないのか。それがよくわからない。ただ、異性愛の模倣のようなセックスをバカみたいに表現することによって、かえって異性愛の固定的なイメージが「他者(非異性愛者)によって盗用可能な、構築された欲望に過ぎない」ことを気づかせるものにだって、なりうるとは思う。もちろん、問題はそういう“可能性”ではなく、実際的な“効果”なんだけどさ・・・。