恋愛という絆には、本来名前はない。

作家さん個人に焦点を当ててレビューするのはなんか違うと思ってたけど、BL作家の個性的な作風のそれぞれを分析しないでどうする、と思ったのでちょっと連続でこの作家さん。

アタ (ミリオンコミックス 26 CRAFT SERIES 18)

アタ (ミリオンコミックス 26 CRAFT SERIES 18)

なんだこれ、すっげぇ面白ぇ・・・っ。
あらすじ。

理屈じゃない ただ本当に愛しかった
一つ屋根の下、他人同士でありながら、影朗とアタは、兄のように、弟のように、家族として暮らしている。
まっすぐで健全な心の持ち主である影朗。傷つきやすく、そのくせ、いつも誰かに恋しているアタ。
ふたりは一番近くにいながら、恋人としてはもっとも遠い存在だったのだが・・・
春を恋う少年たちのラブ・ストーリー。

帯。(表)

好きな人にそばにいてほしい
ただ、それだけ

(裏)

〔アタ〕
僕には・・・重石がいる
僕には恋人が必要なんだ

〔わい性中生種〕
男には興味はなかったんだけどな・・・

〔呼び水〕
この家は僕にとって暖かい故郷であって不安定なぬくもりの源である。

〔雨天〕
何もわかってくれない影朗なのに惜しむものが同じだということが悲しい

〔雨間〕
そばに好きな人がいないと・・・悪夢を見るんだ・・・

〔水たまりで〕
あなたは僕に恋愛を教えてくれたんだね

少年たちの過ぎゆく季節

BLレビュー

本作だけでなく、風のような少年〜、て感じの子らを描くよね、藤たまきさん。
今回のはなんだか涙するー。いちいちナイーブで詞的な言い表し方をするんだもん。とても情緒豊かで雰囲気がいいね!リアルかどうかといえばそれはリアルではないんだけど、独特な世界観漂う、そして優しげな空気のある印象を作品から感じます。
影朗という攻めの母親は、保育所を開いてます。んで、昔はそこで「行き場のない子供達を自宅に預かって共に生活をする活動」をしていたんだって。で、その活動を終えて保育所になった自宅に残ってるのが、アタ。で、その家族にもカミングアウト済みで、アタは本屋でアルバイターやってます。幼馴染萌えー。
今回ね、攻めが二人いまして。影朗の親友・讃岐がいて、その攻めがアタと付き合うようになるのね。つまり間男が登場します。でもこの間男、照れたりキレたりと表情も割りと豊かで、ただのプレイボーイ的ナイスダンディーって感じでもないのがよかったです。でも、そのおかげで二人の攻めの攻防が痛々しくって!(それも旨味かしらね・・・
三角関係萌え?でも、そもそも受けちんがやたら男とくっ付いたり離れたりの危うげなフラフラちゃんなんです。いつも誰かに恋をして、散々な目にあってます・・・。切ないのです。そんなアタに影朗はとても過保護です。自分のお母さんに「私ならアンタみたいな親は御免だね」と言われるほど過保護なんですv子バカで好きー。

渇きを持つアタ。同じくどこか渇いた感じの讃岐。そして惑い葛藤する影朗。三人の恋は瑞々しく流れ何処に向かうのか、て感じの話で、どのシーンもキラリと光っていて大変旨味がありました。

以下ネタバレ。
(先に謝りますけど、分析のためにはやたら引用しなきゃなので、それはご了承下さい。勿体無いくらい面白いから、少しでも読む気あったらこの先のレビューは避けてね)

『密告』でもそういうキャラいたけど、家族にオープンで、うまく生活してるゲイなんだよね、アタ。
けれど、彼の胸の奥底にはその暖かみを壊す「毒」が。
影朗と家族であろうとするアタ。しかし、いつしか誰よりも愛しくなっていた影朗の存在。家という居場所(過去)と唯一の恋(現在)が分岐していて、どちらを取っても何かを失う環境下にいるアタ。

だけどそうしてるうちに出口のない泉の水圧が高まる だんだん耐え難くなる息苦しさ そしてやがて水圧に押されて僕は正常である事に変容する毒を含んで変形するんだ。

アタは中二の時進学をしないと影朗に告げたとき、
「カゲローはさ・・・女の子でヌクんでしょ?僕ゲイみたい だから僕これからは自分の道を探さないと 」と云う。
更に二度、「ゲイは呼ばれること自体が少ない」と言う。つまり、ゲイはお付き合いができる相手の数が少ないと言うこと。
ここで、とてもアタの状況がわかる。
彼はゲイであり、してはいけない相手に恋をする。その恋を押し込むためには他の男が必要だ。だが、ゲイの場合出会いが少ないので、その重石を見つけ難い。
そうかー。同性愛を描くなら、ゲイ特有の問題系をこういうふうに描かない手はないもんなぁ、と思った。とても「ゲイ」を描いているストーリーだ。しかも、それ自体がストーリーの重要点ではなく、あくまでアタの「重石探し」という、攻めへの恋慕の裏返し行為を印象付けるための道具として、ゲイの問題が活用されている。なんてことだー、ゲイの記号をこんな形で活用するとは〜!
よく同性愛モノを扱うストーリーでは、そういう「ゲイ(レズビアン)のかわいそうな所!」を単純に描き、それを異性愛読者が愉しむ、て形で利用されてるけど、コレは厳密にはそうじゃない。ゲイという経験を、「受けと攻め」の物語性の演出として活用できているんだ。

讃岐と「いつゲイだと自覚したか」という話つながりでオナニーの話しになって。アタは

「初めてぬいた時僕影朗の事考えてた それが ショックで・・・」
「ショック?」
「ショックだよ!だってアレ・・・兄弟だろ・・・なのに何でって・・・ 気持ち悪くて・・・ショックで でも急に気づいたんだ あれ男だったからかなって それで他の男を試して・・・安心できたよ つまり僕はゲイだったんだって」
「安心?」
「うん性癖 生理現象不可抗力だったんだよね 影朗とか別に関係なかった ・・・うん!」

と言う。

アタは影朗(に対する自分の想いに)に怯えていて、他の男を、“自分の溢れる想いを押し込める重石”に使っていたわけよ。つまり、本作ではアタがしてきた今までのお付き合いは、恋ではない事となっているのね。つまり、ゲイ同士の付き合い=恋愛ではないということ。最後にそれが恋愛の定義としてどう繋がってくるのか。


で、攻めにはジレンマがあった。

可愛い大人しい自慢のアタ 夜を怖がってメソメソと よく俺の布団に潜り込んできたアタの背中を 俺はいつまでもさすったりしたものだった
理屈じゃないただ本当に愛しかった

眠るお前の頭を抱え 背中をさする相手の事を 恋人じゃないと差別する その無知さに呆れてしまう
でもそうした怒り 悲しみや 整理できないすべての事が いつもこの温もりの前に かき消されてしまうのは何故なのかな
切り捨ててしまえないのは何故なのかと思うよ―

そして擦れ違う二人―。「何故なのか」という問いは、ここで答えに導かれていく。

「お前は最初から・・・俺と寝るべきだったよ」
「―――・・・ ・・・それは・・・どーゆーイミ?中3の頃影朗は・・・女の子でヌクと言っていたよ 影朗はゲイじゃないでしょう?」
「中3の俺なんか知らねぇよ![・・・]いつの間にか遠く離れて解りゃしないと俺の事を突き放すようになってしまった事も―――・・・ ・・・お前は早すぎる 俺はいつもおいてけぼりだ」
「―――・・・」
「―――・・・ ―昨日・・・お前とヤる夢を見たんだ」
[・・・]
「お前は早すぎたよ [・・・]だけどお前を好きになったのは俺が先だし好きの度合いも俺が上だぜ? きっとそうだ絶対だ」

性的な欲望が「恋」と呼ばれるべきものなのか?恋とは、身体に与えられた名前なのか。
しかし、アタは影朗以外の人との付き合いの中で、ときめきや安らぎを実際に感じていた。それは恋ではないのか。ここではゲイ同士の付き合いは恋とイコールではないと表現されている。
アタは讃岐との恋を

終わればただなくしてしまうだけのものだったのに・・・

と言う。
それが恋である付き合いと愛でない付き合いとに別れる分岐点なのか。では、どう違いがあるのか。
讃岐とは違い、影朗は、あらゆる物を失いながら(或いは得る事が出来ないまま)生きてきたアタに、新たな全てを与えた。
彼と讃岐の違いはなんだったのか。それは絆の強さなのか。
では、アタと讃岐とでは持たない絆の名前はなんだろう?家族愛か?いや違う。なぜなら二人が結ばれたことからも解るように、それは家族愛という境界線を廃する絆だったのだから。
では、その絆とは何か?
そこに答えはない。
私達には“名前のないものの前には沈黙する他ない”という<運命>がある。
そして更には、「〜〜は恋だよ。〜〜は恋ではなく家族愛だよ」などと“知”った時、同時に<それ>以外のものには沈黙し、知ることが出来なくなる。何かを知ることにより何かに無知にならざるを得ないのが、“知”ることだと思う。

では、彼ら自身が与えたその絆の名前は何か。
それが、「恋」だった。あるいは、「愛」だ。

あの頃の俺は―アタの気持ちがわかっていたんだ

では、成長してから、何を、なぜ、わからなくなったのか。兄弟であった時、それは兄弟愛だっただろう。しかし、性欲に目覚めた現在は恋になる。
「目に見えない」愛とはどんな絆だったのか。


私の結論は、そこに答えはない、ということ。
そして、私達は、他に何にも言いようがなくなったとき、それを愛と呼ぶ。それを恋と呼ぶ。
愛とは何か。恋とは何か。どれが愛でどれが愛ではなく、どれが恋でどれが恋ではないのか。
その答えは本来ないと思う。その答えは自分で出すしかなさそうだ。
要するに、私達は、答えられなくなった想いを、愛や恋と呼んでしまうのだろうな。
私達は時に沈黙する。その沈黙が、愛とか恋とかがお出ましになる合図だ。


人は何も語れなくなったとき、それを愛と呼ぶ。
と、とりあえず結論付けてみる。

そして、そのようなBL表現の中で、ゲイ(同性愛)という記号は、名前のない絆(恋 愛)の下に、様々な知と共に沈黙する。
藤たまきさんの場合、けれどゲイと云うセクシュアリティは消えないのね。だって、それでもアタが影朗以外の男でもぬけたからね。しかし、影朗にはそれがない。男ではなく、アタ以外では射精が出来ていないから。その時なぜ二人が「愛」しあったことになるのか、と言えば、「そこには見えない絆があったから」ということになる。けれど、それは家族愛でも兄弟愛でもない。そして、名前は、ない。名前がなくなったとき、突如としてそれは恋愛になる。
セクシュアリティは残しつつ、けれどセクシュアリティの外部にある<名前のない絆>の前に「ゲイ」という記号は沈黙する。これが今回見られたBL的特徴ではなかろうか?