恐いほど癒着した関係が好き!

マンガ家シリーズ面白れー!

新装版の方です。こっちのほうは「きみがいなけりゃ転居できない」が追加収録。
あらすじ。

ルコちゃんという愛称でごくごく一部に熱心なファンがいる(らしい)売れないマンガ家「豪徳寺薫子先生」こと二木。生活能力赤ん坊なみの彼を放っておけず、幼なじみの東海林は文字通り衣食住の面倒を見てやっている。そんな折、二木にメジャー出版社での掲載のチャンスがきた。二人の関係にも微妙な、そして大きな変化が──? 運命の(!?)再会を果たす大学生編「きみがいたんじゃ転居できない」を収録した新装版!

東海林は「しょうじ」豪徳寺薫子はまんま「ごうとくじかおるこ」でニ木は「にき」。にっきあめー。
帯。

ルコちゃん復活!!
BE・BOY GOLD誌上にてコミック化連載中v

BLレビュー。

う〜ん、さすが榎田さん…。こういう漫才系のカップル書かせたら右に出る人はちょっとしかいないね!←微妙な評価。
でも、マンガ家シリーズ最初の作品としてとってもナイスでインパクトある作品でした。ドラマ性に富んで、バリバリ共依存の関係が美味しかったです。
ニ木はとってもダメ子。部屋は壮絶に汚いしすぐ物忘れするし迷惑かけても頓着しないし。東海林はそんなニ木の面倒をついつい見てしまう「ママ」な人なのです。東海林は二木の管理全般をこなしていて、それは小学生から始まっていた関係だった。途中高校で別れるんだけど、どうやって東海林ナシで生きていられたのか不明なくらい、今となっては東海林に頼りっぱなしの二木。
そんな二人の関係が、より密なものになっていく経緯、そしてその執着的な愛は、なかなか見せるものでした。

榎田さんは、きっとマンガ家に距離を持って書いてるんだろうなぁ。
と言うのも、作品に出てくる漫画家は、なかなか「漫画家」!!て感じにわかりやすいイメージで表現されている。「職業モノ」BLでは、その職業ならではの特性を生かしつつ同性愛を描くため、そういうのは重要だ。それはステレオなイメージかもだけど、漫画家を楽しめる表現になってると思う。

以下ネタバレ。

二人はすごく微妙な関係にあります。関係が、かなり危険な領域で揺れている。親友でもあり母親でもあり兄弟でもあり・・・。あまりに多くのものを共有してるから、二人はもはやそういう関係性に線引きが上手くできない状態に陥ってる。おそらく再会して昔よりも更に惹かれあったからこそ、そういう共依存な関係になったのだと思う。

正に、きみがいなけりゃ息もできない関係だなと思った。

 これじゃ気が違ったと思われても無理はないし、実際、危ない領域に踏み込んでるのかもしれない。……こんなに誰かを欲することは、狂気のひとつなのかもしれない。

かなりやばい領域だという自覚はあった。幼馴染、親子、兄弟、恋人―――それをごったに混ぜ、怖いほど癒着した関係に足を踏み入れるのがいいことだとは思えない。東海林にとっても、またニ木にとってもだ。
 けれどもう引き返せなかったし、引き返したくもなかった。

二人は作中で一度仲違いをし、距離を置くんだけど、それに耐えられなくなってしまった。かつて、高校時代では離れられていたのに、再会してからはもう離れがたい関係になっていた。それは、再会してから、より恋人や兄弟や親子やそういう関係性の境界線を、引かなくなったからだろうと思われる。
そういうのは、時にアンバランスな人格や関係性を形成させるだろうとは思う。けれど、(そうは知っていても)やっぱり魅力的だ…。

 これも世間体という視点では都合がいい。東海林にはカミングアウトして親を寝込ませる度胸はないし、二木にいたってはカムアウトどころか自分がゲイだとこれっぽっちも思ってない。二木にとって世の中の区分は男、女、東海林、となっているらしい。

そうは言っても二人の関係は同性愛である事に変わりはない。でも、私は本音を言えば、二木の感じ方はこれでいいのだと思う。所詮同性間の愛が同性愛、異性間の愛が異性愛、両性を愛せば両性愛、というセクシュアリティ概念などは、ただの定義でしかないんだからさ。

んー、でも、ちょっとおかしい。ゲイだといってるけど、東海林は実は、あんたゲイ性を本当に持ってるの?という印象を私に抱かせる。だって、かつて男と付き合っていたという記述はないし、「女を愛せない」とは言うけれど、それは二木がいたからなのか、「男」を愛していたのか、なんだかよくわからん…。二木にいたっても、以前風俗に行ってきて、また行きたいとは思わないものの女と性交渉をしてきた。けれど、彼が男を愛したのは、東海林に対してだけ。どうも東海林に言わせれば、男を一度でも愛したならゲイになる、ということらしのだが、ただそれだけの定義らしい。

しかし、この二人には、ゲイとかゲイじゃないとか言うより、ただ東海林とニ木だから好き合っている、と言ってしまったほうが、正直シックリ来る気がする。いや、それももちろん同性愛関係なんだけどね。
でも、そういう区分が共依存の関係で曖昧になり、更には親子兄弟恋人という境界線も恣意的なものであることを教えてくれる、というのは中々面白いと感じる。しかも、それぞれに境界線を引かないと「やばい領域」になることも示唆する。
二人はこれからとても危うくも強い絆を保ち続けるだろう。でも、作中で(距離を置いてる時期に)二木が成長してる様も見れば、それはやばい領域であっても、当面は実現可能な関係なのだと思う。そういうのを読ませてくれるBLはとても素敵だと、正直思う。
そもそもBLは、友情やライバル意識しか持ってはいけないはずの同性に対して、恋人という揺らぎの関係を描いてしまうのだから、元々そういう描写は十八番のはず。そういう関係の中では、時にゲイという境界線は、ほんのちょっとの間だけ消える。・・・正直、私はそういう境界線の恣意性を揺るがすBL描写が好きだったりする…。