同性愛差別にセンシティブなBL。

あっちでユリイカやっと感想書けたので、そろそろこっちも集中的に書かなきゃなー。

眠る兎 (ビーボーイノベルズ)

眠る兎 (ビーボーイノベルズ)

昔の作品で絶版だからか画像ないけど、挿絵は西崎祥さんです。
あらすじ。

 ほんの冗談で書いた手紙をきっかけに、高校生の浩一は、十も年上の男と付き合うことになってしまった。男が名乗る名前も職業も偽りだと知っていたし、他に好きな女の子もいたけれど、男があんまり純粋で――。
 たくさんの熱いリクエストが寄せられた待望のデビュー作が、ついにBBNに登場!
加筆&続編書き下ろしv

あれ?木原さんのデビュー作って、『セカンドセレナーデ』じゃなかったっけ?

BLレビュー。

なんだか作風がレトロでした。実は二人は同じ高校の教師と生徒。 嫌な人間味を進んで描いている感じの作家さんですが、この優柔不断な年下攻めも健気受け(と見せかけて怒るときは人並みに怒ってるのが良かった)も、なかなかもにょもにょしてくれやがりやがって、読んでるこっちがやきもきするタイプの人達だった。けっこううざかったよー。でもヒートアップする彼らの情動と戸惑い、恋愛模様はけっこうよかったよー。


まず最初がもう目も当てらんないくらい最悪。おそらく本作の時代は、まだネットが恋愛という出会いのツールとしてさほど活躍してなかった時代で、ゲイ雑誌が出会いのツールとして機能していたと思われる。で、受けは職業と名前を偽り雑誌に投稿してたんだけど、その雑誌を見つけて、わざわざ教室に持ち出して笑いものにするために晒した生徒がいやがったのね。で、それを見て、投稿者に宛てて手紙を出そうよと攻めに言い寄る女の子(<攻めの片思いの相手)がいやがるのね。そして、本当に攻めに書かせた手紙をその女の子(遠藤)が勝手にポストに出して、相手から「待ち合わせ場所で待ってるから会いに来てほしい」と返事が返ってきた。本当は浩一に行く気はなかったが、遠藤が「本物のホモが見たい」と仰っりやがったのをきっかけに、攻めが受けを見に行く、というもの。


「ホモってどこにでもいるんだな」とか言う連中と一緒に雑誌を見て笑う攻めたち…。(「どこにでもいる」と思うなら、その教室に「ホモ」がいるとは考えないのかね)
でも、それが後々に啓蒙の材料として機能する。それがこの作品らしさだった。

  • 最初に被差別者に対して酷い描写を入れる→主人公が同性愛に出会う→自分のしてきたことの酷さを自覚し深く後悔して反省する

これって非差別者を描いた作品にありがちな構成ですわね。既視感〜。ああでもこれはBLだから攻めは受けと付き合うようになるので、主人公自体が非同性愛者としてではなく、あくまで同性愛に目覚めて差別を受ける『当事者』として描かれてある。(<「『当事者』って誰?」という難しい問いは置いとくとして。) 
差別に主眼を置いたBLって確かに少ない方かもしれないので、それが特徴的なBLだと思えました。


以下ネタバレ。

nodada's eye

同性愛差別にありがちな発言などが一杯あったと思う。
最初待ち合わせの席にいたかっこいい人を手紙の相手だと勘違いして、攻めと遠藤が会話してるシーン。(<本当は人違いだったんだけどね)

 「すごくかっこいい人じゃない。あんな人がホモなんてもったいないなあ」

ああ、いるいる。「私という“女”に興味を持てないのに美形だなんて無駄だワー。全ての男はこの私のような“女”に愛されるべきで、男は女に相手にされてこそ価値があるんだから、ホモなんてもったいない〜」とでも言いたげな馬鹿な女。いるんだよなー。勝手にあんたの基準でもったいないかどうかなんて判断しないでくれる?自己中。

 「あんなにかっこいいなら、ホモでも許せちゃうかも」
 顔の美醜でホモを許せる、許せないと言うのは、どこか理不尽な気がした。女ってわりと残酷だよなと思いながら、浩一はコーラをズッと啜った。

ああ、いるいる。一人で勝手に「男を査定してあげる立場のア・タ・シv」みたいなのにでもなった気で許す許さないとか勝手に断じたがる傲慢な女。てーか、同性愛を「許す」もクソもねーだろうが。何勝手に「同性愛者は私より格下の人間v」て思い込んでるんだよ。一人よがりも大概にしろや。 
でも浩一。あんただって好きな相手の口車に乗せられて、手紙の相手をダシにして遠藤と親しくなろうと企んでるんじゃないよ。あんただって充分過ぎるほど理不尽だっつーの。イライライライラ…イシダイラ
浩一の親友である柿本が、二人の関係を問い質すシーンとその後。

 「…どういう関係かって聞いてるだろ。まさか付き合ってるなんて言うんじゃないだろうな」
 嫌というほど鋭い親友にうんざりし、最初から『事実』を批判するような言い方にカチンときた。
[…]
 「お前、おかしいよ」
[…]
真面目に真剣な気持ちにケチをつけられるのは我慢できなかったし、馬鹿にされたくなかった。おかしい、変だといくら言われたって、あの人が好きだ。
 それ以降、浩一は柿本と一言も口をきかなかった。…わからない奴に何を言ったって無駄だと思った。

 「この前は『おかしい』なんて言って悪かったよ。でも同性を好きになる気持ちってのは俺にはやっぱりわかんないよ、正直なとこ」

思うんだけど、たとえ攻めが真剣に受けの事を愛してなかったとしても、同性愛という理由で柿本に文句を言われる筋合いはないだろう。
そして、浩一が「わからない奴に言っても無駄」と思ったのは、おそらく自分の気持ちを無意味に否定されたからであって、柿本が同性愛の欲望に共感できなかったからなんかじゃない。ていうか、「正直わからない」と答えられましても、誰もあんたの嗜好・指向なんて聞いちゃいない。

とまあ、それぞれに同性愛と関わりあう中、人間性というものがにじみ出てくる。

そして攻めは、遠藤に嫌悪されて、そこで気付くのです。

 「…本気なんだ。変なの。男同士なのにキスするのって気持ち悪くなかった?」
 頭を殴られたような気がした。最初は浩一も同性でキスする、抱き合うなんて気持ち悪いと思っていた。だけど気付かないうちに、自分の中のタブーをあっさりと乗り越えていた。好きだからキスしたいと思う、そのことになんの疑問も抱かなかった。
 遠藤からしてみれば男同士のキスなんて気持ち悪いとしか写らない。自分の気持ちをわかってはもらえない。今さら、柿本の言葉を思い出した。『本気の人間をおもちゃにするのはよくない』よくわかる。今ならその言葉の意味がよくわかる。

 だけど遠藤だってひどかった。『本気なんだ、気持ち悪くなかった』と面白半分にからかってきて、馬鹿にした。被害者のふりをして落ち込んで、そしてふと気がつく。
 自分だってそうだったじゃないかと。ホモ雑誌に掲載されていた恋人募集の欄を読んで、容赦なく笑ってた。男に会って、夢中になって、好きにならなきゃ今でも『気持ち悪い』と言っていたに違いなかった。好奇心いっぱいの瞳で。

なんだかどこかしら啓蒙的。

BLでもそういう傾向は、抑圧されてる同性愛者を描く際には(て、抑圧されてない同性愛者なんていないだろうけども)よくある表現だと思うけれど、それを含めてもどこか特徴的な作品だな、と思った。それは、同性愛差別・抑圧と主人公、というものがテーマになっており、その中でつむがれる愛の方がサブテーマな気がするからかも。(いや、私以外の読み手には逆に思えるだろうか…?)
受けがなかなか攻めとの恋愛に勇気を持てないのも、受けの抱いている恋愛観も、同性愛差別が関係しなかったとは思えない。攻めの苦悩も、やはり同様だと思う。その中で、二人が温かな愛を掴み取ることが、この作品の味だったろうと思う。そして、なぜそれが私にとって特徴的だと思ったのかは、よくわからない。私もBLに対する世間一般の評価と同じに、BLは同性愛の問題系に触れることが基本的にはない作品象だ、と思ってるということだろうか。そう判断するのは早計だと思う。けれど、どこかテイストが違うなぁと感じたのはなぜか、今後考えていきたい。
・・・。
読み手に、同性愛差別とキャラクタをきっちりと結びつけさせ、そこに差別があるよ、というメッセージ性を打ち出したのが特徴的だった?同性愛差別にセンシティブになるようなまなざしを与えたのが特徴的だった?うぅーん、わからない。

メモ。

受けが帰郷して、初恋の相手と偶然出会い、その彼にカミングアウトしたシーン。

 「初めて……」
 言葉が続かず、大きくしゃくり上げた。鼻水が止まらず、すすり上げているとティッシュが目の前に差し出された。鷲掴みにして、顔を押し当てた。
 「初めて、人に自分の性癖を話した」
 うつむいて、背中を丸める。
 「……怖かった……」
 黙っていればわからない。誰にも軽蔑されたりしない。そっちのほうがはるかに楽だった。

あれ?受けがはじめて自分の「性癖」を語ったことになるのは攻めじゃなかったのかな? 攻めは同じ同性愛者だから「人」じゃないとでも言うのか?(そういえば、攻めは、手紙を出した時はノンケだったことを受けに話していなさそうだったっけ)

その初恋の相手と会った後、攻めに、「かつて好きだった」と相手(一ノ瀬)に告白したことを話すシーン。

 「軽蔑されても仕方ないって覚悟してた。だけど一ノ瀬は……」
[…]
 「一ノ瀬は理解してくれて……」
[…]
 「友達が理解してくれたのはさ、あんたが真剣だったからだよ。そういう気持ちが、向こうもちゃんと伝わったんだと思うよ」

「理解」ってなんだろうな…?ていつも思う。「真剣」じゃなくては「理解」されない「理解」ってなんだろうなと思う。

そして受けは、両親に攻めと付き合ってることを告げた。

 年老いた両親に理解を求めるのは永遠に無理な気がして、正直話したのがよかったのか悪かったのか判断は出来ないが、後悔はしていなかった。

彼らは結婚は出来ないから養子縁組をした。もしパートナーが危篤になっても家族じゃないという理由で面会できないから、などがその理由だ。(あれはあくまでガイドラインだから、まったく不可能とは限らないだろうけどね。)
そういえば今年一月に話題になった厚生労働省からパブリックコメントを求められていた「終末期医療に関するガイドライン」における、『家族等』の定義は、結局どうなったんだろう…。チェックしてなかったな。誰か知ってたら教えてください。

あと、一度養子縁組をすると、仮に同性婚が実現しても結婚出来なくなるってことはなかったかな。それと、養子関係結ぶってことは、親子関係になるってことなんだから、お互いのパートナーシップを考える上で、そこらへんが葛藤のネックになるということもありえそう…。
この作品では、養子縁組をして家族になったというのを、人生の新たな「スタート」として描いていた。