願望のための舞台劇。前編。

ちょっと長くなりそうなので、前編後編に分けます。

巧みな狙撃手 (SHYノベルズ)

巧みな狙撃手 (SHYノベルズ)

あらすじ。

「連はいずれ俺の存在が脅威になると思うんだよね。だから秘密は共有しようぜ?」ある朝、飼い犬の散歩に出かけた湯本は、森の脇道で近所の高校生・連がひとり自慰に耽る姿を目にする。見られてはならない姿を見られて絶望する連に、湯本は言いようのない欲情を覚えて関係を迫るのだが…表題作『巧みな狙撃手』、義父と義息の不道徳な関係を描いた『堕ちていく』『掴み取れない』ほか、暴力と不条理と劣情が混在する松田美優の珠玉の作品集登場。

表題作『巧みな狙撃手』、義父と義息の不道徳な関係を描いた『堕ちていく』『掴み取れない』ほか、暴力と不条理と劣情が混在する松田美優の珠玉の作品集登場!

帯。

追いつめる男と追いつめられる男。自分の欲望のため、男達は駆引きする―!!

おお、ちゃんと内容説明した帯だ!

la aqua vita 巧みな狙撃手

BLレビュー。

この小説はエロスな短篇集です。で、これは作家さんがサイト時代に書いていたものをいくつかUPしたものなんです。
実はこれ、作家さんにも興味なかったし発売当初買う予定なかったんです。ですが、tatsukiさんのレビューを読んでいたら、「体育教師 野田」という文字が出てくるじゃありませんか!それで「あ、これ以前自分が通ってたサイトの小説じゃないか!」と気付きまして、買いにいったのです。あー、よかった。好きな小説サイトだったのに「お気に入り」には入れてなかったので、いつの間にかサイトが見当たらなくなって困ってたんです。でも、私のお気に入りの車の整備士(だったと思う)の攻めと高校生モデルの受けの話が載ってない・・・。ある日自分の友達の家に遊びに来た受け。その友達の兄として出会った攻めに殴られレイプされ嬲られて、そんな攻めになぜか惹かれる受け・・・という話でした。これが私のリビドーに直接訴えるものだったんです。
この短篇集もそんな作風となっています。

サイトに通ってた時、(インディーズと云うこともあり)私はこれをあまりBLとして意識してなかったので、今BL商業誌として読むことには少し違和感を覚えたりしますね。ですが、これをあくまでBLとして読み込むのは、案外面白いことかもしれません。


で、この作品は、ほぼ「ポルノ」として見ればどういうものか掴められると思いました。私ポルノに限らず物語っていうのはキャラクタ全員によるお芝居だと思っています。ある一つの筋書きがあって、作品のテーマを読者に提示するためにキャラクタ全員が自分の役割をになう。で、ポルノの特徴というのはこの虚構性をあまりにもあからさまに提示しちゃうことです。たとえば、「女は男にレイプされて喜ぶ」という素敵過ぎて困った妄想(テーマ)のために、女性キャラクタも男性キャラクタも厳正な形で各役割を演じる、とかね。虚構の為のその舞台に人格はなく、ただテーマの為にキャラクタたちは愚直なまでに振る舞う。
私、最近発売されてた「危険な愛体験」という雑誌を立ち読みしてみたんですけど、そこにレイプされるOLのお話がありました。そしてその女性は後日レイプした男性に自ら擦り寄りこう言います。
「(あの時のように)私をレイプして!」
もちろん、レイプされる側の自分から「私をレイプして」と言ってしまうとそれはレイプじゃありませんよね。そりゃ和姦です。ですが、その危険な愛体験のテーマは暴力的なエロスである(と私は判断します)。だから、レイプされる側もする側も、実はレイプの現場を自主的に作り上げるために駆り出された人材です(と思ってる)。本音ではレイプされる側もそれをレイプだと捉えてません。つまり、レイプごっこ。分かりやすく言うと、この危険な愛体験という雑誌は「様々なレイプを楽しむためのイメージクラブ」だと思う。
でも、そこで本音である「レイプしたい、されたい!」を明るみにしちゃうと、レイプとして成り立たないから興ざめなので、一応合意のない行為としてそのセックス(!)を描くものなんだと捉えます。

で、この作品はどうかというと、あからさまさを巧みに隠した「レイプを楽しみたい読者のためのイメクラ」だと思う。例に挙げた危険な愛体験では、うっかり本音である「私をレイプして!」を叫んじゃいましたが、そうした本音を隠した上でレイプをレイプとして成り立たせるための舞台劇をしているのではないかな、と思いました。BLでは、時にこういった願望は隠蔽されますが、その願望自体を照射したBLとして特徴的かと。だから、この作品に出てくる受けは全て誘い受けです。確信犯的にごっこをする共犯者です。少なくとも、後半まではそれで納得できていました。
ただ、この作品の複雑なところは、レイプだけが虚構のテーマではないというところかと。何か限定して言い得ない願望があると思います。さて、それはなんなのか。

私も誤読覚悟でレビューしてみます。


本作は全部で8作。

  1. 巧みな狙撃手
  2. 甘美な試乗
  • 制裁
  • トモダチカンケイ
  • 犬と餌
  • 死ぬほどキスしてくれ、ベイビー
  • 堕ちていく
  • 掴み取れない

さぁ。これらが一体どんな舞台劇の様相を成しているのか。

1.

  • 「巧みな〜」における願望。

 「もっと大声上げろよ、連。じきに通学が始まる時間だ。ギャラリーがどんどん寄ってくるぜ?」

 「・・・・・・たぶん聞くとイヤな気分になるぜ」
[・・・]
 「いいから教えろよ」
[・・・]
 「朝、例の如く犬の散歩中、高校生と森の中でセックスしてたらつい夢中になって、結果遅れただけ」

読者との視姦プレイ。+同僚と猥談を共有することでの、半公開の「セックス」。

  • 作品全体に共有されている願望。

 立派な家柄や田舎の閉鎖された環境に、連は押し込められている。だから俺が解放してやる。蓮自身すらまだ知らない本性を、誰より先に許し、与えて、今度は俺の中に閉じ込める。

2.

  • 「甘美な〜」における願望。
  • 作品全体に共有されている願望。

[・・・]眉根を寄せ、断続的に息を吐き出し、セックスの快感に耐えるその様は、同性の目から見てもものすごく色っぽい表情だ。

[・・・]女相手のセックスでは知りえなかった、淫蕩な体。

 みっともないところを晒しても、愛しげに見つめて、許してくれる。圧倒的な包容力は、きっと彼女にも他の誰にも真似ができない。

受けは攻めに拉致されてレイプされてしまうのだが、実は話の最初から、受けが攻めの“男としての”セックスアピールに注目しているかのような描写がある。>複雑な視線と視線の絡み合い。
隠されたホモセクシュアルか?

[・・・]はっきりとした絶頂の証拠を突きつけて、相手がどう反応を示すかを試す。それはある意味、賭けだったかもしれない。

愛ゆえにレイプしてしまった攻め。受けはそこで「試す」。>何を?

目に見えて後悔している様子の東堂さんに、俺は正直なところ、イラついた。

レイプ後、受けは攻めに対して「俺をどれだけ愛してるのか」を、(暗に)詰問する。そして、攻めが覚悟を決め自分を愛すると誓った後になって、受け自身も現在付き合ってる彼女を裏切ることを決めるのね。女(異性の欲望)を裏切る→ホモセクシュアルという構図。

この話、(読者には秘密で)「たぶん、二人は最初から両想いだったんじゃないか?」とさえ私は思う。そして、攻めが受けに女を裏切る動機を与えることで、やっと二人は愛の契約を持つ。レイプごっことその後のやり取りをすることでのホモエロティックな契約、というシナリオに思えた。

で、危険な愛体験の「レイプして」と似た、願望の本音がこれではないかと。

 「・・・じゃあセックスなしで」
 それはもう無理です、と東堂さんがはにかんで笑った。

二人の関係にはホモエロティックなセックス(!)がなければならない、という暴露!(この点が最も作品全体に共有するテーマかと)

3.

  • 「制裁」における願望。

 野田がしていることは、体罰だ。けれどそれ以上に、教師と生徒という枠を超えた、奇妙な空気が流れている。

受けは攻めに監禁されてレイプされるのです。受けは話の最初の時点で「野田の授業を受ける気はなかった」と暴露しています。それで攻めは怒ってしまい、受けに<お仕置き>をしちゃうんです。

 可哀相に、市川の身体は勝気な性格に反して快楽に従順だ。

 箍が外れた自制心は、脆くも砕け散る。後に残るのは、突き上げる衝動と性的な欲望だけだ。野田の目論見どおり、市川はその手に落ちた。

「可哀相に」。これは誰の視点か?野田の視点かも知れない・・・。
ところで、松田さんの文章は、(木原さんとは違った意味の)突き放した感のある、静観するような第三者的視点があると思う。それは「制裁」に顕著だと思う。攻めの視点に寄り添うこと、・・・それと、どこか事態を遠くから眺めるような文章は、攻めと私が視線を共有し、このレイプ(と陥落する受けの変貌そのもの)を楽しむ形式ではないか。読者との共謀?

  • 作品全体に共有されている願望。

ネットで探したところ、「巧みな狙撃手」に「愛」の在り処をなんとか探し出そうとなさった読み手さんもいました。ですが、私はこの作品には、「制裁」を含め、むしろ愛を求めることを許さない物語性があるのでは、と思いました。「制裁」のエンドマークでも、享楽的な欲望はあっても、愛情はないように読めます。それは、ある意味強姦や監禁の願望をこそ、肯定するパフォーマンスではないか?と思います。

4.

  • 「トモダチカンケイ」における願望。
  • 作品全体に共有されている願望。

 こんなセックスばかりしていたら、きっと自分は捨てられる。そう危惧しているからこそ、コウは以前と同様、友人としてのつきあいに戻りたかった。しかしその願いは再三、タカシに裏切られる。

コウは、同意の上ではなく、あたかもセックスのための道具としてタカシに扱われている。でも、タカシへの性欲なき欲望がある。
私は本作をポルノ的舞台だと言いましたが、その仮説に則るならば、ここでのコウも嘘をついてることになる。彼は本音ではタカシに行為を強要“されたい”と思ってるはず。・・・たぶん。 それと同時に、「このままではこの気まぐれな暴君にいつか飽きられるのではないか」と危惧する。けれどそこで、最後のエンドマークとしてタカシからの「俺から逃げるな」というメッセージが与えられる・・・。
享楽的な快楽を享受したいのだが、それは本来的には永続するはずのない願望(「強要されたい」という本音)でもある。しかし、その危惧を一蹴し、脆い欲望と欲望が保たれるように結び付けようとする力動が、ある。それが攻めの強引さなんですよ。享楽にふけりたい、けれど現実的ではない。しかし、その願望を支えるタカシ・攻めの「逃げるな」が欲望の<補完>という効果を持つ。・・・そこらへんがポルノの虚構性・舞台劇の様相を模してるかな?と思うわけです。


それでは、出来るだけ早く後編をお届けしたいと思いますので、どうぞよろしく。