「好きになってはいけません」のロマンスにイラつく。

表紙買いでした。

好きになってはいけません (ディアプラス文庫)

好きになってはいけません (ディアプラス文庫)

  • あらすじ。

恋愛運が異常に悪く、誰かと付き合うたびに手酷い目に遭ってばかりの雅貴。札幌のイタリア料理店に勤めていたものの、やはり修羅場を見た挙げ句、仕事をやめる羽目になった。だから決めた。もう恋はしない。なのに実家に戻って定食屋を手伝っていると、姪の担任の桂沢から猛アプローチ! もちろん付き合うつもりはない。とはいえ桂沢があまりに好みのタイプすぎて、雅貴は困ってしまい……? オール書き下ろし♥

そういえば、珍しく『ゲイとゲイ』のお話でした。

  • 帯。

俺の愛はフルコース。残さずに食べてくれ。
DEAR+NOVEL-178
ディアプス文庫・最新刊
恋愛と食事はきっと似ている。ならば、楽しいものがいい。
小学校教師×イタリア料理人の恋、さぁめしあがれ♥

「めしあがれ」のルビにボナペティートとふるってあります。どうでもいいけど、すんごい本文に見合ってない帯だなぁ・・・。

BLレビュー。

とにかく、受けが「恋愛はしないって決めたんだ、決めたんだぁあああ〜!」みたいに意地を張って惹かれている男に素直になれずにもにょもにょしてる、というお話でした。他の方のレビューにもありましたが、私にも、受けが恋愛をしない理由がどうも納得し難かったです。ですが、ここで忘れちゃいけないのは、単純に“過去の恋愛”と それによる“周囲への迷惑”だけがネックになってるわけではない、ということ。この作品は過去の恋愛がトラウマになって・・・というベタなお話なのですが、ここには“同性愛差別への危惧”という要素もあるんですよね。それはまた後ほど触れるとしますが、さて、今回の受けは粗忽でちょっと抜けているキャラという設定みたいですが、攻めのアプローチをかわしている場面ばかりが多いこのお話(乙女チックな受けがちょっと突っ張りつつ、されどしっかりセックスはしつつ、攻めに恋をしないように自分を必死に戒めている。)では、そういうらしさが活かせていないように感じました。終始突っ張ねてるだけで、受けの行動にキャラクタ性が感じられない。そのせいでどうも私には、受けが魅力的には思えなかったです。ていうか、本人は素直になれない理由を「恋愛運がないから」と言い張ってるんですが、男に恵まれない男なんてざらにいるわけで、多分多くの人が「気にしすぎ」とツッコミそうなもの。なのに、そこを「男運」で語るものだから、妙に演歌の人になっちゃってて、読んでてクマった。
そして攻めですが、彼は好青年に見えるけど実は人並みに助べえだし強引なところもある、というキャラです。
このお話は、彼らのキャラクタ性と、受けの恋愛できない理由に共感できる人になら面白いものかもしれません。私は共感は出来なかったし、「好きだけど好きになってはいけない!」という話にロマンスは感じないので、残念ながらあまり楽しめませんでしたが、その日の気分によっては美味しいのかも?
あ、でも「オカズ」ネタは萌えました!

今日のは引用箇所が多いのでさすがに折ろうっと。
以下ネタバレ注意。

nodada's eye.

先に雅貴(受け)のことを書いておきます。以下長いですが、私はまとめるのが下手なのでマルッと引用。

 普通であればひた隠しにするはずの性的指向を隠さなくてもいい状態は、確かに有り難いといえば有り難い。・・・・・・けれどそれだけプライバシーが皆無ということでもあったりする。
 子供のころから雅貴は男の子にしか興味がなかった。将来は誰と結婚するのと訊かれ、アユムくん、と真剣に当時の同級生の名を挙げたほどだ。
 もう少し利口なら、それは口にしてはいけないことだと知恵が働いただろうが、幸か不幸か雅貴は聡い子供ではなかった。ゆえに自分の好きな相手のことを隠さず、結果家族や周囲にその性癖はたやすく知られた。
 (雅貴。雅貴は本当に男の子が好きなの? 女の子より男の子がいいのかい?)
 珍しく真剣な顔をした母にそう問われたのは、確か今のひなつと同じくらいのころ。どうしてそんなことを訊かれるんだろうと不思議に思いながら、うん、とあっさり肯定した。しばらく母は何も言わず、何かを考えていた様子だったが、わかった、ときっぱり頷いた。
 あまりにも幼いうちからそんなカミングアウトをしてしまっていたからか、雅貴がゲイだということは比較的自然と周囲に受け入れられた。
 雅貴が事の重大さや深刻さを知るようになったのは中学に入ってからで、それでも最大の関門である家族への告白がとうになされていたというのは幸運。
 田舎町だから、本当であれば保守的で、同性愛者なんて気持ちが悪いと嫌悪されそうなものなのに、なぜか雅貴はその手の視線をほとんど投げられたことはなかった。クラスメイトからも、近所の人々からも、マー坊だから仕方がないか、そんなふうに片付けられてしまった。
 さすがに札幌ではそうはいかないんだぞと高校を卒業して地元を離れるときに兄の耕平にはしっかり釘を刺された。
 (普通はこの町の人たちみたいに思ってくれないんだからな。キモいだのヘンタイだの言われるんだぞ。だからホモだなんて絶対言うなよ、黙ってろ)
 〔・・・〕
 そういう意味では、ゲイとしては相当に幸せな、ツイているほうに入るのだろう。同性を好きになった苦悩というのは普通の半分も味わっていないのかもしれない――何を普通というかはわからないが。

(あ、珍しく「嗜好」じゃなく「指向」になってる・・・。)


なんというか、いつものことなんですが、どうも私、BL(あるいは一般商業誌)等に出てくるゲイキャラクタには共感できないことが多いです。(ああでも、今回のは特殊な理由もあるかも。というのも、私も雅貴と同じくガキの頃から根っからの男好きでしたが、それでもやっぱりその嗜好性を語ることが出来ない程度には異性愛者からの見えないプレッシャーを感じていましたから、そこに鈍感であった雅貴を私が理解出来ないだけなのかもしれない。。。)
そりゃまあ、私自身がゲイじゃないからというのもあるのですが、それにも増して共感できない理由に、登場人物のセンチメンタリズムが理解できないという部分が強くあるんだと思います。たとえば、攻めと受けのやり取りなんかでもそう。

 「それはそうかもしれないけど、でも多分おれの知らないところで母も兄もいやなことを言われて傷ついているはずで。おれが何を言われてもいいけど、そういうのがおれは」
 「つらい?」
 やわらかな問いかけに、少し迷ってから頷いた。
〔・・・〕
 「・・・・・・でもね、誰だって大なり小なりつらいことってあるじゃないですか。そう言っちまえば無責任かもしれないけど〔・・・〕でも人間って多分、ひとつやふたつつらいことがあったほうがいいんですよ。そのほうがいろんな意味で成長できるし、やさしくもなれる。自分にも、他人にも。種類は違っても、つらいってことがわからなきゃ相手のつらさもわからないじゃないですか。大事なひとが出来てもその痛みを共有してやれない」
〔・・・〕
 ・・・・・・どうしてだろう。なんでこのひとの言葉はこんなにまっすぐに心に入り込んでくるのだろう。

(注:受けは、自分がゲイであることで周囲に誹謗中傷がいってないかということを、心配しているのね。)
ここでは、「誰だってつらいことはあるから」と言って差別的なバッシングを「多くある<つらさ>の中のひとつ」として矮小化させていますが、私なら絶対そんなふうには思いませんし、あるいはそのつらさの経験を前向きに考えることにより、不当な差別に対する批判性を欠くような理屈を持ち出すことには賛同できないんですね。ですが、受けはどうやらこの攻めの言葉に感動してるみたいです・・・。私はこんな子供だましな理屈で「差別される自分」に納得できるほどお人よしじゃないから、やっぱり共感できません。

・・・なんだろう。けれど、キャラクタに共感できない、というのはもしかしたらどうでもいいのかもしれない。そこが問題じゃなくて、ゲイキャラクタを描いているその文章(と言うか表現全体)になにか引っかかるものがあるのだとも思います。最初に挙げた文章なんかでも、あたかも「異性愛社会で異性愛者に認めてもらえることがゲイの幸せ」と書いてるように読めるけれど、私はそういう文章を読むと、とても屈辱を感じます。私が一部のBLのゲイキャラクタ(とその描写)に引っ掛かりを感じるのは、たぶん、著者が匂わせる(異性愛者視点の)権威的な文章に、『上から目線』や『押し付けがましさ』を感じてしまうから、という理由もあるんだと思います。

・・・つーか、あれですね。ゲイ(雅貴)に対するこの北国の人たち↑の反応って、なんかウザいですよね。「仕方がない」ってどんだけ偉そうよ、みたいな。


で、物語の核にもなっている部分についてなんですが・・・。実は、受けが攻めになびかない理由のひとつに、「自分との関係がばれることで教師の職に支障が出るのでは?」という危惧があるんですね。

 (桂沢さんが教師になったのはどうしてですか?)
 〔・・・〕
 (俺、子供好きなんですよ。だけど自分の子供は多分一生持てないじゃないですか。だからそれならせめて他人の子供でも育てる手伝いが出来たらなって――、それが理由です)
 〔・・・〕
 それほど真摯な気持ちで就いている仕事を奪われるようなことになって欲しくない。桂沢のためにも、桂沢を慕う子供たちのためにも。
 「――もしかして雅貴さん、心配してくれてます?」
〔・・・〕
 「大丈夫。その覚悟は出来てるし。そうじゃなきゃゲイなんてやっていけませんって」
 多分自分が考えている以上に桂沢は強いのだろう。それならば余計な気を揉むのは逆に無礼だ。

簡単に言ってくれやがりました。しかも、「無礼」らしい・・・。
次に、受けの元彼が登場して攻めとバトルところのシーン。「雅貴さんのためなら他の何をなくしてもかまわない」と言う攻めに対して、元彼さんが切り込む。

 「でもね、何でもなくせるなんてそんなこと、軽はずみに言わないほうがいいよ?」
 落ち着いた様子で忠告すると、背凭れに身を預け、桂沢を仰ぎ見る。 
 「実際になくせるの? 教師だって言ったよね。その仕事が出来なくなったら、きみどうする?〔・・・〕生活も立ち行かなくなるだろうし、免職の理由如何によっては世間から冷たい視線も向けられる。そうなったらその原因を恨むことにもなるかもしれないよ?」
 放たれた言葉がぐさりと雅貴の心に深く突き刺さる。――それは雅貴の不安そのものだった。
〔・・・〕
 「絶対に恨んだり後悔しません〔・・・〕万一恨むとしたら、そんなことになるのを防げなかった詰めの甘い自分自身をです。好きなひとを恨む必要なんかどこにもないでしょう?〔・・・〕それに今の仕事をなくしたって、また別の仕事を探せばいいだけです。確かに今の仕事は好きですけど、それ以上に好きな人がいますから〔・・・〕仕事はひとつきりじゃない。だけど愛するひとはひとりだけです」

めめめめめめ、目眩がする。。。どうしたもんだコレ。
しかもこの後、受けまでもが「(自分たちの覚悟の程を元彼に示すため、)今から校長にカミングアウトしに行きましょう!」とか言っちゃうのよ!? ヤベーよ、マジにキちゃってるよ連中。

えぇと。まず、「覚悟」と言っていることについて。覚悟なんてものはその状況を納得して初めて出来るものだと私は思うのだけど、職業選択の自由を奪うよな差別を納得する人なんているわけないでしょ。よしんばいたとしても、それは無理に納得させられた結果であって、差別に屈しただけのこと。受けはそれを「強い」と評価するけれど、差別に納得するなんて明らかに弱者でしょ。
たとえ話をするけれど、「女性は最終的には退職する率が高いので地位の高い職には就かさないようにする」という差別に対して「大丈夫。その覚悟は出来てるし。そうじゃなきゃ女なんてやっていけませんって」と言っちゃうのも、なんかすごい微妙ですよね。
女を「やってい」くことで受ける扱いが不当であるなら、それは女であることが問題なわけじゃないんだから、「女だから覚悟するんだ」って話にはならないはず。上記のように、ゲイ(と言うか同性愛者)への差別を「覚悟」の一言で済ませるということは、女が置かれている状況に納得して「ガラスの天井も仕方がないよね」と言ってるに等しい。
しかも、そういう理不尽に対する屈服を愛のロマンスに見立てて「これほどまでに深い愛!」みたいなカタルシスを読者に提示するなんて、どこの昼ドラ。そりゃあ、そういうロマンスをネタ的に消費するのもアリなのかもしれないけれど、私はやっぱり釈然としないなぁ。


他の媒体との比較も何もしてないから私見だけになって申し訳ないのだけれど、BLの一部にはこういうゲイ差別に対してご寛大な表現というものが散見されます。私はそれを否定しないけれど、もうちょっと反差別のイデオロギーにセンシティブなBLもないもんかなぁ、というのが本音です。(まあ、エンタメ小説なんてそんなものだと言ってしまえば、それまでですが。)
こういう表現は、自分たちの置かれた理不尽な社会にちっとも『納得』せずに抗っている人たちに対して、失礼だと私は思う。だから嫌いなんだよ、こういう話。

あと、受けの家族がやたら交際関係を監視してるような雰囲気がムカつきました。受けが自分の恋愛に「負い目」を感じてしまっているのも、幼少のころから続く過干渉が原因なんじゃないか、って疑ってしまいますw しかもそういう己の抑圧性に気づいてないあたり、あの母親にはイラつかされました。けどまあ、最後に「当人が乗り越えられるなら」と了承してたから許す。
↑彼らに倣って私も上から目線で偉そうに言ってみました。