作家・ヤマシタトモコ語り、負け犬の強み。

恋の心に黒い羽 ヤマシタトモコ 11月の読書家
今回こちらをリンク貼らせてもらいます。(迷惑だったら仰ってください!)
ヤマシタさんの作風について、私より端的に言い表してらっしゃるかと思います。


・・・えーと、ちょっといいですかね?前に書いて消したヤマシタさんのエントリ。キャッシュ取ってたのは誰でつか?駄文だったから消したというのに・・・。今度はこっちが検索上位に来て欲しい所。

長らくお待たせしてすいませんでした、改めてヤマシタトモコ語りでごじゃります。では、先に警告させていただきますが、ヤマシタ作品を読んだ私自身としては、『くいもの処明楽』で「苦手かも?」と疑問視し、『タッチ・ミー・アゲイン』で「苦手だ」と断定し、更には『恋の心に黒い羽』で「き、嫌い…!?」と思うに至った訳でして…、率直に言って非好意的な評価(w) ですのでファンの方は特にご注意ください!

今回、私から提示させて頂くポイントは大きく3点。

  1. マジっぽさ。
  2. クィアフォビック。
  3. 照れ。

これら3つがが絡まりあってヤマシタ作品の「味」が出来ているんだと私は感じました。

BLレビュー。

ヤマシタさんの魅力を端的に言うならば、優れたエンターテイナーであるということ。
ヤマシタさんはその作品の多くが日常系で地味系でありつつも、素材をドラマティックに演出する力に長けているのかと思われます。実は時にはベタなシナリオであるけれど、やや“文学”的でありつつも“親しみやすいキャラクタのテンポ”(そして好まれやすい葛藤部分)と相俟った大衆向けの情緒感溢れるモノローグ(言葉・会話)が、なぜか“独特”な作品世界を匂わせる。彼女の作品にはそんな洒落たポエマーとしての味わいがある。それは過剰なBLロマンスを相対化する東京漫画社のレーベルとマッチした性質であり、且つインパクトのあるカタルシスを生んでいる。
昨年から大人気のヤマシタさんですが、確かにBL“作家”として注目株であることは間違いなさそう。

nodada's eye.

さて。今回はヤマシタ作品の「ナイーブなのに逸楽」「ドライに見えてウェット」「ノイジーだが魅力的」という部分を自分なりに掘り下げてみたいと思います。

まず二作の表題作を比較検討してみたいと思います。

くいもの処 明楽 (マーブルコミックス)

くいもの処 明楽 (マーブルコミックス)

表題作のあらすじ。

居酒屋『くいもの処明楽』の店長・明楽高志のそこそこ順調な人生は、年下の生意気なバイト店員・鳥原泰行からの、突然のマジ告白と「危機感ヨロシク」発言によって一変する。年上としての意地も、男としてのプライドも通用しない鳥腹に平穏な日々を乱されビビる明楽だが―!?

aが明楽(受け)bが鳥原(攻め)。

【a】「ホモじゃねーのにおれの何が良くて好きとか言ってんだよ」
【b】「知らねっすよそんなん」
【a】「えっなにそれひどくなぁい」
〔…〕
【b】「――茶化さないで欲しーんスよね そーやって 正直むかつくし 茶化さないとやってらんねーくらいマジで感じないクセついてんスか?〔…〕こう見えておれはマジなんでね あんたもマジになって欲しいんスよ」

【a】「 「おれを怒らせたい」ってね そんなのおれがキレて突っ走んの待ってキッカケをおれのせいにしたいだけなんだよ あんた〔…〕「オトナだから」?…「怒らせる」ってこーゆーこと あまいよあんたのやり方 本音吐く気になった?」

恋の心に黒い羽 (MARBLE COMICS)

恋の心に黒い羽 (MARBLE COMICS)

表題作『恋の心に黒い羽』のあらすじから。

ドMの二神は同僚の中頭に恋心を抱いている。好きという純粋な気持ちと、それを覆う汚れた性癖。交錯する感情の狭間で引き出される二神の本心とは――。

補足説明しますと、表題作『恋の心に』は、マゾヒストの二神が同僚の中頭に「あなたが好き、切り刻まれたい」と告白して振られたが、それでも日々マゾヒスティックな欲望を晒しつつ迫る・・・という内容。しかし、中頭は二神とつき合うことが考えられないから振ったのではなくむしろ考える余地はあったけれど、マゾヒスティックに迫ったから振ったのだと言う。
会話↓1は中頭(攻め)、2は二神(受け)。

【1】「おまえがやたらとMっ気出さなきゃおれだって真面目に考えたのにな〔…〕おれはおまえの神経を疑ってる 性癖がどーとかじゃなく 人のこと好きだとか言っといてなんだその感じは?〔…〕おれの話をきいてるようで全くきいてない おれが好きなのか本当に? それともおれとセックスしたい――つうかおれに罵られたいだけか?こんなセリフ女じゃねぇけど体めあてか〔…〕目の奥に期待のぞかせていじめられ待ちしてんじゃねぇっつってんだよ!!異常な性癖で鎧いやがって素も見せやしねぇ おれはおまえのオナニーの道具じゃねぇぞ!!〔…〕おれはホモじぇねぇから性欲押し付けられても体は動かねぇ 感情見せてくりゃあ心は動いたか知れねぇのにボンクラ!!」
【2】「感情…と性欲は……たぶん別の場所だ …でも鎧わないで…素できみを好きだなんて言っ…えない…だろっ〔…〕だってきみは絶対におれを好きにはならないのに〔…〕…言ったろ 黒い羽はおれの心のジャマをする …そのかわり飛べるんだ」

この二つの作品に共通しているのは、“受けが恋愛に真正面から向き合わない”「不真面目な」態度を取っていると攻めに見なされてそれを却下される、という構図が出来上がっている事。
その「不真面目な態度」とは、『くいもの処』では明楽の「わざと茶化す態度(怒らせること)」であり、『恋の心』では二神の「マゾヒスティックに迫る態度(鎧うこと)」である。この作品は同じ構造(シナリオ)と言える訳だが、ここでは、二神がただマゾヒストであると言う理由だけで「それは愛ではない」と却下されている。マゾヒストが自分の性を隠さないで人を愛することは、相手を想わない素振りをすることと同義だとされるのだ…。(変態性欲と愛情の分離)

タッチ・ミー・アゲイン (ビーボーイコミックス)

タッチ・ミー・アゲイン (ビーボーイコミックス)

そうした傾向はこちらの作品『タッチ・ミー・アゲイン』にも通じるもので、二神と同様に、

「おれは超内向的だしネガだし自信過剰だしオタクだしゲイだしSだし他人に優しくできないし愛想も悪りーし性格悪りーし不眠症だし〔・・・〕あんたを好きってゆーことだけがおれん中でキラッキラのピュアホワイトだよ」

とゲイである芥までもが自分の同性愛を「あんたが好きってゆーこと」とは別である…即ち「それは(純)愛ではない」ものだとしている。

…ヤマシタさんは読める作品を大抵読んできたけれど、ホモ(クィア)フォビックな純愛志向と共に、概して“性的欲望”を“純愛”と離した性愛観を提示したがるナイーブな傾向があるかと。
要するに、ヤマシタ作品の世界では、性的欲望でもクィアでもない<想い>だけが純愛として認められ肯定されるのだ。「性的欲望に基づかない想い、“だから”これは純愛なんだ」「自身がクィアでもないのに非規範的な恋をしてしまう、“だから”これは純愛なんだ」という形で、性的欲望とクィア性は忌まわしきアンチ・ラブイデオロギーとして排斥される。

ホモでもSMでもないクィアな欲望だけを純愛と見なすこうした態度と、性的欲望に対する思春期な反応は、<性>を否定的にまなざしつつも逆説的に純愛を見出すためのロジックに利用する。こうしたキナ臭いクィア表象(による純愛の見出し論理)が、ヤマシタ作品の大きな特徴だと思う。しかしそれだけではなくヤマシタ作品の大きな特徴として、やはりその豊かな表現力が挙げられる。最新刊の『恋の心』に顕著なように、BLの文法を洒落臭くシカトした“構成”は特筆すべき特徴。姉視点のゲイの失恋物語だったり、攻めと受けの関係を直接描かず第三者を介した人間ドラマだったり、表題作のように報われない恋心を描くために恋の<過程>を重要視したり、表現の切り口が一様ではない。この「一様ではない」ところが、ヤマシタ作品の魅力ではないでしょうか?
しかし、一様ではないからと言って、先ほどから指摘した特徴が“部分的”な要素という訳ではなく、それぞれの要素が交じり合い繋がっているところがヤマシタ作品の深遠だろうと感じています。
と言うのは、私にはヤマシタトモコさんに一種の照れがあるように思えてならないからなんですね。彼女のインタビューやあとがきなどを読むと、ヤマシタさんにはBLジャンルへの距離感を告白なさってるトコロが多い。。「自分はBLジャンルの中では周縁的立場で、ストレートを投げようと思っても変化球を投げてしまう」という語りが割りと目に付いたんです。実際、『くいもの』の鳥原等の口説き方なんかを見ましても、それがライトなBLのノリ路線とは距離があります。そうかと思うと、両想いであるのに陳腐な言い訳を付けてナカナカくっ付かないもどかしいカップルを描いたりもします。これはどういうことか?
ヤマシタさんは他のBL作家があまり描かないような失恋モノ等を描いたり、非BL的なノリを描いたりしますが、その理由も結局はキャラクタのクィアやBL的なセオリーへの敬遠が理由だったりすると私個人は感じているんです(独断)。・・・或いは、キャラクタの持つリアルなーーーとあえて言うけどーーー“男性性”が理由だと言い換えてもいい。(私見ですが、BLではより「男性的」であるキャラほど、クィアでキャンピィな恋への“葛藤”が激しくなる傾向があります!)
…私は、コレも一つの「照れ」と解釈してもイイかと思ってるんですよw
「マゾ(ホモ)なんて…」「BLのクサい台詞なんて…」という具合に。<超誤読かもしれませんけど!

こんな具合に、照れのおかげで(?)、他ではナカナカ見られない豊かな表現が出てくるのではないか、と私は思うのです。そして、このヤマシタさんの魅力を一言で言い表すならば、負け犬の泣き笑いとでも名づけられるかと・・・w
私はヤマシタさんがBL的キャムプやクィアへのフォビアに負けていると思っています。そして、負けて泣きながらソレを遊んでいるんだとも思う。しかし、こうした己の照れ(BLフォビア・クィアフォビア)に勝てないことで、逆に一様ではない豊かな表現力を生んでるんだと痛感いたします。(そして、負けているからこそ彼らの恋の葛藤にインパクトが生まれる)

何かに負けているからこそ、泣きながら笑っているからこそ、他にはない視点を活かした物語性が生まれる、そんなこともあるはず。私はそれを批判しますし、あまり好きではないのですが、併しながらそれが強みになっていることも事実かと・・・。そんな訳で、抽象的且つ私的な解釈ですが今の私としましては、ヤマシタ作品の魅力を「負け犬の泣き笑いである」という結論で筆を置きたいと思います。

ちなみに、ヤマシタさんですと『恋の心に』の「その火をこえてこい」だとかコミックス未収録作品http://http://www.b-boy.jp/magazine/gold/try_05_01.htmlの方が、断然オススメです♪
今回述べたヤマシタさんの魅力はあくまで一部的なものです。私の語りだけではなく、実際に色々読んでくださればまた新たな側面も見えてくるかと思いますよ!