「純情のヤングマン」。

情熱のヤングマン (ディアプラス・コミックス)

情熱のヤングマン (ディアプラス・コミックス)

  • あらすじ。

失恋したてのサラリーマン・小野は行きずりの高校生・ヤマケンに抱かれてしまう。1回で終わるはずが、ヤマケンが会社に現れ大ピンチ。さらに小野の元カレ・秀典は復縁を迫ってきて!? 素晴らしきヤングマン×ピュアリーマンの表題シリーズ2篇のほか、消防士の卵たちの恋を描いた『F.D.!』を含むヤケドしそうに熱いブラッドラブ!!

  • 帯。

じゃあ、恋ってなに?
行きずりから始まったリーマン・小野と高校生・ヤマケンの恋は小野の元カレ・秀典と親友の中上を巻き込み大混乱!?あなたの心を熱くするウブでやんちゃなヤングブラッドラブ♥

BLレビュー。

ここにあるのはかつて恋だったものの哀しい残骸
高校で恋をした 夢見るようにキラキラと 想い出になってもきっと一生宝物だ

恋に純情、真っ直ぐでヘタレ、受けラブパワーの限り尻尾を振る低知能指数のワンコ攻め。そんな彼は、受けの元彼が失った“従順さ”を持っていた。それこそが受けの求める恋愛テーゼ、各カップル単位のモノガマスな排他的関係性。今はなき信頼の絆が保たれていた昔の時間、すなわち<高校生時代>を現役で通過途中の男子が示す受けへの愛情…。受けが求め続けるノスタルジックなこの愛情において、かつての時間を既に通り過ぎてしまった不可逆の存在である元彼に居場所は無い。(「俺の男じゃない」「良い友達でいよう」)
スマートだが純愛志向を満たしてくれない元カレ。がさつだが満たしてくれる高校生男子。そういえば、著者の高橋さんはレディコミでも活躍の作家であるが、この非対称な男性キャラの対置は他の恋愛ジャンルにおいても馴染みの演出なのかもしれない。

今回は受けのノスタルジックロマンスと、それに応える年下攻めの若き純情の物語である。彼らの愛情がどのような結果へ結びつき、そして何を残すのか…。それは残酷な強者の論理。一人の相手だけを一途に想い続けられる非現実な忍耐強さ…。それを強いられる事により、社会的ハンディを負わされた弱者でさえもが平等に(笑)、現実と恋愛を秤にかけさせられることになる。つまり現実の苦境に立ち向かいつつ恋愛にプライオリティを置かなければならない。しかしその恋愛イデオロギーを遵守出来て、且つ利潤を得るのはそもそも社会的強者の側。そんな特権的恋愛主義だから、この受けの求る理想的な彼氏像がゲイである元彼をも『結婚』という一部の異性愛者に都合のいい制度に押し込めのも已む無し。
結局、この攻めが大人になった時に、二人の信頼の絆・愛情の真価が問われるのであろうな。しかしそのような理不尽な争いに巻き込まれたゲイカップルが絆を得ようと失おうと、勝利にはならない。既得権益の側が利するだけで、ただの敗者なのだろう。はじめから落とし穴の戦いだ。とどのつまり、彼らは今と言う名のバカンスを愉快に味わうだけの遊び人だったのかも。
私はむしろ、恋人に見限られながらも意味不明に結ばれた、元彼と友人の関係にエールを送りたい。気ままな「通い猫」に振り回される不条理な関係だが、彼らの場合、少なくともかつての時代が郷愁ではなく現実と繋がっている。地に足のついた関係こそが安定的な絆を築けると信じるならば、彼らの進む道には未来があるように思えるのだが…。

nodada's eye.

ストーリー展開はあらすじと帯の通り。小野(受け)の元カレ・秀典は、出世の道を逃さないためにも、上司の娘と婚約した。最近の「恋人って感じが」薄れていた中の婚約話…、秀典は不誠実なばかりの人物ではなかったものの、小野にとってそれは「恋愛」の条件を満たさない事だったのだろう。

高校時代の俺達はキスするのも必死の覚悟で だけど全身でお互いを求めていた 恋だけが人生の全てだった 俺達はいつから変わってしまったんだろう

小野は最初、ヤマケンの熱烈アプローチを「性欲」として切り捨てていた。しかしヤマケンは、「恋人と別れたばかりで他の誰かの肌の温もりにすがりたくない(だから抱かれたくない)」という受けの言葉に従ったり、必死な独占欲を見せるなど、『真摯』な態度を見せる。そうする中で彼の

「俺……バカだからよくわかんねぇよ じゃあ恋ってなに?」

、という言葉はクリティカルに届く。

12月の夜中に凍えながら きっとまだ泣いているんだろう まさか朝までそうしてるつもりじゃないだろうな 
やりたいだけでも気の迷いでも あの情熱が あれが恋だろ

小野はヤマケンの必死な姿を見て心動かされ、「結婚しても愛している(だから付き合いを続けよう)」と持ちかける元カレに、別れを告げるのだ。

「俺には出来ない だってこんなの恋じゃない お互いだけを求めあえないならそれは恋じゃない」
「……あのガキか?あんなのに惚れてるって言うのか」
「まさかそんなんじゃない ……でも思い出した お前のことあんな風に好きだったよ お前もそうだったろ ……でも今はもう違う 俺たち二人とも」

結局、小野にとってモノガマスな恋愛関係でなければ「恋愛」ではなかった。そしてその「恋愛」を体現しているのは、かつての自分たちと同じ高校生であるヤマケンだった。そして、ヤマケンのように恋愛だけにプライオリティを置ける(らしい)高校生こそが、秀典という「大人」になった存在を『結婚』へと促すように見える。秀典は小野の言葉を受け、大人になった事を嘆く。「好きで大人になったわけじゃない 年なんて取るもんじゃないな」、と。それに対し、小野はこう返す。

「そんなに悪いもんじゃないさ だってこうして上手にお前と別れられる 憎まずに優しい気持ちで友達に戻れる ……大丈夫ずっと好きだよ これからは大事な友達として〔…〕
奥さんになる人 ちゃんと愛してやるんだぞ秀典」

さて、この対極的な構図はなんだったんだろう。つまるところ、秀典がフラれたのって上司からの結婚を引き受けたのが理由だと思う。小野は一対一の関係しか恋愛と認ないが、縦社会に生きる者がそれを可能に出来ない場合もあるのは、秀典を見れば明らか。だが、そうした“大人の事情”という苦境に立たされないヤマケン(高校生!)こそが恋愛をしていることになる。しかしこれはかなり恣意的な線引きだと思う。
モノガマスに付き合える存在、高校生。恋愛にプライオリティを置けない存在、大人。

ここでは奇妙な倫理性が生まれているかのように見える。というのも、今回小野が恋愛の正当性をジャッジするわけだが、このジャッジの恣意性がとてもマジョリティに有利に働いているのです。同性愛関係(に限らないのだけど)がモノガマスな関係を異性愛社会で貫こうとする中で障壁の一つとなるのは、異性婚という一種の圧力だろうと思う。その圧力(抑圧と言ってもいい)が働く中で、小野の求めるモノガマスな恋愛志向を遵守しやすいのはマジョリティのはず。
小野は最終的にはヤマケンと付き合うようになるが、異性愛社会の中で男同士で付き合う小野自身にとっても抑圧になるはずの恋愛観を根拠に、秀典の恋愛を退けるのだ。同じ立場であるはずの小野が、秀典を「恋愛が成り立たない」相手として切り捨て、更には、モノガマス志向にのっとって、望ましい『結婚』生活をすすめるというこの皮肉な結果。
モノガマスに付き合う事が悪かったのでは勿論無く、若さに頼るだけの危げな恋愛が悪かったのでもなく、ただ小野が求める恋愛志向が社会的な構造に巻き込まれ、結果秀典というかつて最愛だった人を切り捨てざるを得なくなったってだけの話。ああ、これが同性愛=悲劇的恋愛の構図ですか?オモシロイデスネ?

…えぇと、何が言いたかったのかな。とりあえず、「結婚しろ結婚しろ」ってうるへー、バカヤロウ。
てなことで。

メモ。

受けに奉仕され、「みこすり」でイってしまった童貞攻め君。そんな彼に受けはこう呟く。

童貞笑うな 来た道だ…

何だか受けたワンシーンw
どうやらこのコミックス、童貞のように早漏なことが若々しい純愛の証らしいですよ?(笑)