「好きなんて言えない!」レビュー。

好きなんて言えない! (キャラ文庫)

好きなんて言えない! (キャラ文庫)

  • あらすじ。

背が高くて精悍で、同性も羨む男前。そんな若きエリート・蓮沼(はすぬま)が取引先のデザイナー日比野(ひびの)に一目惚れ! 年下だけど有能な日比野は、人懐こくて容姿も涼しげ。本音は抱くより抱かれたい──そんな欲望を持つ蓮沼に、日比野の態度は期待したくなるほど思わせぶり。真意が掴めないまま日比野と飲みに行った蓮沼は、翌朝見知らぬホテルで、なんと裸の日比野とベッドにいて…!? 

  • 帯。

本音は抱くより抱かれたい―――攻守逆転ラブパニック♥

この構図が「パニック」なのは、私達に固定観念があるからですが・・・。
文庫も11周年記念企画の広告があります。(チョット今はメモらない)

BLレビュー。

ごめん!約束してたものはもうちょっと待たれて!今元気がないです><

さて、今回はいおかサンが描く、二人の頑張り屋さんが活躍する仕事モノBLなのですが、そうですね、私はお仕事に基本関心がないのであまり詳しく評価できません。また、恋愛モノとしてもそれほど盛り上がりがある訳でも、何か特筆すべき事件がある訳でもないです。どっちか言うと、なだらかに恋愛+仕事の経緯を描いた物語でしたね。
今回一番注目する点は、やはり攻め受けの容姿と組み合わせ(攻/受)ですよね。今回の攻めは左側の爽やか美青年であります。爽やか且つタラシな攻めと、オトナな人格者且つおぼこい受けデス!
BL文化圏では、このカップル形式が「逆転モノ」として表象される訳ですが、私がこの作品で良かったなぁと思ったのは、「オトコ臭いオトコは男にモテる」という事実をちゃんと描いてくれた点です。そうなのよ、ゲイで売れ線なのはスジ筋やガチムチなのよね。それに、細い線の肉体の方がネコ(この作品で言う所の「抱かれる側」)になるとは限らない。――ていうか、ゲイの間ならこの受けの容姿は明らかに「可愛い」系だよねー?ネコタチどちらにも需要はありそう。
あとがきでもあるように、受けは外見が精悍ながら「オトメン」というキャラで(と言っても、オトメなのは主に性的and恋愛面だけ。)、ある意味、能動性×受動性というテンプレは崩されてないのですが、既存パターンを色んな形で楽しむという目的で読まれてもいいのでは?
更に、挿絵が有馬さんと言うのもよかったですよね。ごくごくBLらしいビジュアルをそのままに描いている。
容姿が精悍(より「男性的」とされる姿)な方が受けという作品は、どうしてもイロモノになるか一つのレーベルにだけ偏るのですが、作風に見合って、絵柄も自然というのは何だか嬉しい。確かに、この物語の焦点である「男らしい男が受けである事」への<パニック>も描かれていますが、一方の観念だけ描くのではなく、(マッチョな)ゲイ的観点も提示している点がフェアだと思いました。と言う訳で、男性性における性役割の闘争がテーマな作品だったのではないでしょうか。

下以タネレバ。
二つ、雄生(受け)の独白を引用する。

 自分がゲイだと気づいたのは遅かった。大学生のときだ。それまでは女性と付き合うのが当たり前だと、深く考えもせず、好意を愛情だと思いこんで付き合っていた。だが、どうしても性的な関係に進めない自分を、どこかでおかしいとも思っていた。そんなとき、ゲイだとカミングアウトしている同級生と知り合い、彼のおかげで自分の性癖に気づけた。
 もっとも今となっては、気づかないほうがよかったような気もしている。雄生はその彼ほど強くない。会社での自分の立場を考えると、人には絶対知られたくなかった。そう思うと臆病になり、なかなか恋人が見つけられない。最後に恋人がいたのは、今からもう三年も前で、それ以来、ずっと寂しい生活を送っていた。

(・・・BLは本当に同性愛を「性癖」としか表記しないなぁ。私はそれでいいけど、偏り過ぎるのもどうか。「性的“指向”」と言われないために自己卑下する存在もいるのだが・・・。)
次に、酔いつぶれて日比野とホテルに泊まった翌朝のシーン。横で眠る日比野の裸姿にキスマークがあるのを見て、雄生は自分がしたのかと慌てます。

 これまでに恋人はいた。みなかわいいタイプの歳下の男で、いつも頼られる側だった。それはベッドの上でも同じ、リードするもの、できるものと思いこまれていた。相手を奉仕するのは好きなほうだし、喜ばれていると嬉しくなって本音が言えず、相手の望むまま抱きしめていた。だから、恋人ができても望みは叶えられたことはない。 
 本当はずっと抱かれたかった。好きな男に抱きしめられればどれだけ心地よいだろうとずっと思っていた。だが、雄生はゲイであることをひた隠しにしていて、万一にでもばれないようにと気を遣ってゲイの集まる店にも行ったことがない。そうなるとなかなか同じ性的嗜好の男とは出会えず、仮に出会えたとしても、体格もよく、男らしい風貌の雄生は当然のように抱く側になってしまっていた。男だからできないことはないが、心底欲していない行為が虚しくなり、おかげで最近は誰とも付き合わなくなっていた。
 だから雄生が無理矢理に日々野を襲ったとは考えられない。抱かれた経験もないから、強引に身体を繋げることもできなかったはずだ。

と言う具合に、「抱く側」=「襲う事が出来る側」というアホな固定観念があるのですが、それはともかく。
受けの蓮沼はですね、自分の生活空間が社会抑圧のために制限されており、そのため、クローゼットを選択せざるを得ず、自分から求めれば「抱かれる側」になれる事を知らずにいる。ストレートの観点として、「男だから抱く側もできないことはないはず、本来それが当然なのだ」と、男性の規範を内面化している。(えてしてストレートなゲイもそういう規範を内面化する事実を描いている。

そして今回の攻め、セックス現場でやっとこさタラシの本性表した感じなのですが、彼にはこんな経験談があります。

 「俺、ゲイではないんですけど、実は男と寝たことがあります」
 そう言って日比野は気恥ずかしそうに笑った。
 「学生のときですけど、ゲイの友達と飲んでて、寝てる間に上に乗っかられてたんです」
 「・・・・・・それで、どうなったんだ?」
 続きを聞くのが怖かったが、聞かずにははいられず、先を促す。
 「フェラして俺のを勃たせると、そいつは自分の尻にあてがったんです。驚いたってのよりも、あんまり気持ちよすぎて、結局、朝までやりっぱなしでした」

ここでは、日比野はレイプされたようには描かれず、ただ彼がゲイ的観点を併せ持つnotゲイの存在であると示される。そして日比野は、雄生を観察した上でこんなことを述べる。

 「蓮沼さんって、ゲイのハッテン場とか行ったことないでしょう?」
 「どうしてわかるんだ」
 雄生は驚いて尋ねた。抱かれたことがないだけで、ゲイだとは打ち明けているのだ。決め付けられる理由がわからなかった。
 「自分では気づいていないみたいですけど、蓮沼さんみたいなタイプはモテるんですよ。日常生活では出会う機会がなかっただけで、その手の店に行けば、いくらでも抱きたいという男が現れたはずです」
 「まさか」
 「本当です。ゲイの友達が多い俺が言うんですから」
 「これからも行かないでくださいね」
 「・・・・・・君がそう言うなら」

ここでは「ハッテン場」や「その手の店(て言い方嫌いなんだけど)」は「日常生活」から乖離した空間とされ、雄生は“たまたま抱く側に置かれていただけ”の存在として描かれる(ここでは「ゲイコミュニティが日常生活の場であるゲイ」は想定されていない)。
また、この作品で興味深いのは、そんなおぼこい雄生を日比野は「日常生活」に置きつづけようとしており、それにより雄生は「自分の魅力に気づかないモテ系のゲイ」として魅力的に描かれている点。なるほど、「スレてないゲイ」は性の消費に使えることが覗える。
いづれにせよ、コミュニティに参加できなかったゲイの雄性はストレートな観点以外は持ち合わせていない。かわって、notゲイの日比野はゲイに関わる事でゲイの観点を手にいれる、という構図が出来上がっている。であるからこそ、攻めは受けの性的魅力と望みを肯定する事が出来たし、受けも「抱かれる事が似合わない自分、男らしい自分より可愛い青年に抱かれたい自分」を救済できるのだ。


時にBLでは、受けの自己否定を攻めが軽やかに肯定し直す、というお約束展開があるけれど、この意味でも今回の攻めはとても「攻め」らしかったと思います。