「きのう何食べた? 2」を読んだ。

すまんが、公約はなかった事にさせてもらうよ?しかし、これではハシゲ知事をバカに出来ないじゃないか…><

きのう何食べた?(2) (モーニング KC)

きのう何食べた?(2) (モーニング KC)

てゆーか、限定版とかあったんだ。どんなだったんだ?・・・ちょっと欲しかったかも(何だかんだdeよしふみスキー)。そんな訳で、よしながふみタンのnotBL、アラフォー兼業主夫物語の第二巻。以下、『はてなハイク』のほうから一部再掲です。↓

  • あらすじ。

これは、都内某所2LDKに男二人暮らしで住む、筧史朗(弁護士)43歳と矢吹 賢二(美容師)41歳の「食ライフ」をめぐる物語です。
ちなみに1ヵ月の食費は2万5千円也。

  • 帯。

よしながふみ 最新単行本。
食べるは、幸せ。

ちなみにメニューは→【黒みつがけミルクかんてん/鮭のみそホイル焼き/セロリと牛肉のオイスターソースいため/グリーンアスパラのからしマヨあえ/しらたき入り肉じゃが/ほうれん草入りのラザニア/いんげんとちくわのサラダ/ぶり大根】

nodada's eye.

面白かったかどうかといわれれば、なかなか後味が物足りない読了感ではありました。というのも、人生経験の薄い私には特に共感できる場面も少なかった上に、多分筧氏とは見てる角度が違うので、ただにょろーっと人間観察する気分で読みました。


で、コミックス最初の「ゲイコミュでは短髪ヒゲがモテるファッション」って解説がなされるエピソードについて。以下引用。

皆が判を押したようにモテファッション(短髪ヒゲ)をしている中で筧は合コンにすっぴんで来る女くらいには場違いだった。

 
こゆのを読んで、なんだかやっぱり私の趣味じゃないなーと思いました。
ソコさー、なんでゲイコミュをわざわざヘテロ感覚で解釈して、ゲイを分かりやすい他者にしちゃうのー?やっぱヘテロ向けなんかねー、このマンガ。
いや、別に全然おkなんだけど、でもね、こゆのって全然クィアじゃないと思うの。たとえばね、『放浪息子』。私あれ大好きだからよく引き合いに出したい人なんだけど。 あのマンガって何の説明もせずにいきなり「女の子になりたい男の子」が女の子と恋をするの。でも、これに困惑する人って少なくない。MTFに対して「女になりたい=男が好き」ってイメージが主流だしね。でも、放浪息子はそこらへん一切説明せずに描くから、↑のイメージ持つ人は「なぜだろう?」て考える羽目になるのね。他人を分かりやすいフィルターにかける事が出来ないわけ。でも、そういうのがなくちゃ、人って他者への理解を深められないじゃない?偏見だけで他者を理解させない唐突さが、クィアを描くときに異彩を放つのよね。(知らんけど)
そゆ表現の可能性を最初から狭めてしまうのは、私好みじゃない。
(ところで、ヘテロ社会でモテる人って、本当にゲイコミュでは「びっくりするほどモテ」ないんだろうかー?うー?)


ただ、「主に料理しかしてない。でもちょっとしたエピソードを混ぜたりすることで、日常に深みが出る。その生活感で勝負するマンガ」って形式は、私の理想系の一つであることに違いはなくて、やっぱり魅力的な作家さんだなーと思いました(きっと、こんな料理シーンばっかのマンガって、なかなか認められないだろうし)。
ちなみに、今回は前巻よりも料理ネタのボリュームが増量してました。ソレが苦手な人にはあまりお勧めできないー。
・・・かくゆう私もソレw 

そうそう、この「きのう何食べた?2」で思ったんですけど、筧と同居してるケンジが、筧の作る料理に一々感動しているのが私的にショックでした。いや、美味しいものは美味しいんだろうけど、ここまで好みの不一致なくお互いに同じものを美味しく頂けるって、ちょっと私にはありえないシチュだったので・・・。いつ筧の料理に不味いキライってリアクションがくるのかな、って不安だったけど、そゆのがないのって素晴らしいけど不思議・・・。考えてみれば私ってずいぶん好き嫌い多いんだなー。それとも、奇跡的なまでに二人の好みが似てるって話?

 
あと、2巻は「ゲイ」という記号をあまり用いずにキャラとエピソード(コミュニケーション問題、病気問題、ヘルシー問題、家庭・子ども問題)が練られておりました。よく考えればこれって私がキライなクィアクィアでしかない一面的な表現を脱してるんだよな、たぶん。(ただ、「答えを求めない相談」ネタや、「子どもが現在の家族に馴染むことの切なさ」ネタには、意図的なジェンダーセクシュアリティに関するメッセージ性が感じられたw)
で、他の方の感想を読んで気付いたのですが、これって前にハイクで書いた「男同士である必要もないのに男同士であるやおいBL」と一緒なんだ!(参照はてなハイク サービス終了のお知らせ
なんかさ、同性間のパートナーシップにはどうしても「男女じゃ描けない姿」を求められるようだけど、ゲイだろうとレズビアンだろうとバイだろうと蒟蒻フェチだろうとヘテロだろうと、一日に飯食ったり食わなかったり死んだり死ななかったりするだけの、只人なんだよね。
なのに、たとえば「ゲイ」には「ゲイである事」(たとえば自分がゲイであることに悩む姿)だけが「ゲイの日常」であるかのように描かれがちだったり・・・。それは、数あるゲイ一人一人の生活を一面的にしか捉えておらず、非常に窮屈で、非ゲイ読者に対してゲイライフへの思考停止をオススメしてしまう印象がある。そゆ危険がこの巻ではあまり感じられなかった、ような希ガス。・・・それが良いとか悪いとか言うわけじゃないけども、そゆ表現はもっとあっても良いと思う。ロールモデル的な意味でも。

「男同士である必要もなさそうなのにあくまで男同士」

これほんとあるなあ。
受を女子に置き換えても成立するような話をわざわざ書く必要あるのかと思ってたこともあったけど、男同士でないと成立しない話とか男同士である必然性とか言うのは逆に男性カップルのイメージを狭めてるかなと今は思います。
by kmizusawaさん
はてなハイク サービス終了のお知らせ


ゲイに限らず、人が人であるという事は、いくつものアイデンティティが絡み合ってどうにも一つに収まり切らないままならなさ、の事だと思う。
そして、ゲイではないけどもゲイに近く、トランスっぽいようなシスジェンダーっぽいような、それでいて腐っているようないないような…そんな私にとって、(たとえば「きのう何食べた?1」などの)「ゲイである事」だけを強調した表象では、存在しづらかったりする。
二巻から先、この“オチがあるようなないような節約生活”が、二人のアイデンティティをどう描き出すのか、注目したい。

あ、そうそう。ケンジの友達のエピソードなんだけど。
ある日ケンジは自分の友達からお金を少しの間だけ借りようとしたのね。でもその友達君は異様なほどにお金を貸す事を拒んだ。・・・しかし作中では、その理由は決して語られる事はなかった。そして、そのことについてケンジはあまり考えず、ただ「自分より友達の方が変だ」と周囲からの同意を得て満足するのみ。
だけどもしかしたら、友達君には何かとても重大な理由があったかもしれない。真実は分からないけれど、その行動の裏にある“かもしれない”もの。ケンジの友達君(テライケメン)は、人間が一人一人何かを抱えて生きている事を、私に示唆してくれるようだった。(勿論ただの誤解かもしれないけど)
更に言えば、ケンジがそうしたように、自分にとって不思議なものを適当に合理化(「なんのことはない、あの人が変なだけ」)さえすれば、日常に支障はきたさないという事実が示唆されたような気がする。ああ、諸行無常・・・。<関係ない。


・・・理由が示されない。
これってマンガではちょっと毒味にすらなる表現だ。読者である私は、マンガの中くらい謎が一切ない世界を求めたくなるのに・・・。
そして、「なにかしら理由があったからお金を貸す事を頑なに拒んだんだ」、と納得できない読者は、否応もなく彼の人生を深読みしたくなるだろう・・・少なくとも私は。そしてそれは、テキストの表面から見える以外のものを私自身の目で追わなくてはならないことを意味する。このような読みの探求を求められるマンガは、ひょっとしたら読者を選ぶものかもしれない。しかし、そういう表現こそが、アイデンティティが一つにまとまり切らない複雑な人間性をも描いてくれるかもしれない・・・。今に思うと、そう期待してしまう自分がいたんだ。