今日のマーカーを公開。

拍手ありがとうございました!
今日、自分メモ用にメディアマーカーを始めてみました。
nodadaのバインダー - メディアマーカー
ここで書く内容は、とにかくセクシュアリティ関連中心に雑記メモしか書かないので、厳密にはレビューではありません。BLレビューは結構体力が要るために、ここのレビューブログの更新っぷりが惨憺たる現状なので、今後マーカーで何か書いたらその都度ここに公開するつもりです。
ただし、読了して何か文章を書いた作品のみをここで公開します。詳しいマーカー内容は↑のサイトからどうぞ。(ただ困った事に、今のところパーツは貼れてもこのサイトURL自体をどうやってブログ貼り付け出来るのか分からのでリンクは少々お待ちを…。助けてー^^;)

あ、でも。マーカーは直さないけど、ここで軽く推敲することはあるので、ちょっと言葉使いが違うかもしれません。
ちなみにネタバレ全開ですのでご注意を。

以下ネタバレ。

曲がり角のボクら (花とゆめCOMICSスペシャル)

曲がり角のボクら (花とゆめCOMICSスペシャル)

  • あらすじ。

時間がないぜ、青春は―――
オトコの子二人&女の子ふたり計四人の恋愛スクランブルな表題作はじめ、女教師と男子生徒とそれを見た女の子、あるいはオトコの子と吸血鬼♂、あるいは幼馴染の女の子ふたり、など 年の差種族性別乗り越えて構築される混戦模様な相関関係を甘くほろ苦く描いた作品集

著者初の少女漫画作品集
『片恋の日記少女』に続く待望の第二弾
どうぞお手にとって下さい♥

いやだから「性別を乗り越え」てるのはヘテロでしょ!(笑)
ちなみに吸血鬼♂はホモエロ要素が期待できない。むしろ表面的にはヘテロもの。

  • 帯。

駆け抜けろ青春!でもカーブでは落とせスピード 落とすなこの恋。描き下ろし&未発表作など計6本収録の待望の少女漫画作品集第二弾!!

時間がないぜ、青春は。

―――で、誰が好き?

マーカー。

非BL。以前のレビューで、BL『同級生』を「クィアに優しい視点で描かれていた異色作」と評したけれど、読み返してみるとそうでもなかったのよね。
本作も、表題作に登場するレズビアンキャラクタ(神原さえ)が「ホモかよ」と揶揄して、ヘテロ男子(中野ミドリ)が「ホモじゃねーよハゲ」、「ハゲてねーよ」という応酬をしていて、お馴染みな同性愛嫌悪の常習化がなされていた。
『阿部くんと黒羽さん』は、一組の男女の別れに出くわした女性主人公が、結局最後には恋敗れた男性に恋をする、というお話。てな訳で、男女に非恋愛的絆を生み出す物語ではなかったので、私的にちょっと好みじゃなかった。その他作品も同じ傾向で、結構異性愛的且つストレートな物語集という印象。

で、唯一レズビアニズム・百合作品という枠組みに入れられるような『さくらふぶきに咲く背中』だが。
幼稚園児の頃キスをした二人の女性たちが、高校3年生になって再会。その一人であるヨウは、「私は女性と付き合っている」「女同士で付き合うのは無理、って理由で断られるのは辛い」など、マリに対してクィア的経験を語るが、実はソレは嘘で、実際には女性ではなく兄相手に片想いしていた。ヨウは兄が結婚することで自暴自棄になりかけるが、マリは彼女に対して「嘘ついてたあなたに同情しない」と叱咤する。
そこでヨウは言う。「兄妹とか女同士とかスキになっちゃいけない人好きになって もう一生この恋を超える恋なんてない  呪われてるようなものじゃん、だから同じようなもんじゃん」、と。
すると、マリは「同じじゃない、同じ恋なんてない」と言い、口付けを交わそうとする(寸止めに終わる)。
それ以前にヨウは、「普通の男女じゃないとずっと一緒に居る事は難しい」と語って、血縁ではない成人の異性関係を理想化させていた。彼女の中で、兄妹恋愛もクィアな恋愛として並置されている(実際クィアな側面があると思う)。その姿はまるで、「フツーの男女」という正しくストレートな権威から排除された者同士の恋愛に<連帯>を築こうとしてる様にも見える。
しかし、それはマリによって否定され(「同じ恋はない」)、より差異が強調されることで安易な<連帯>を拒絶している様にも、見えるのだ。
これはクィアというムーブメントが差異を重視してきた潮流と重なる。つまり、二人の間で差異と均質が拮抗し揺らいでいると解釈できた。
「同じ恋なんてない、恋って言うのは…」、マリの次なる言葉が何なのかは、結局示されない。しかし、こうしたマリとのやり取りをきっかけに、ヨウは、自分が幼稚園児の頃にマリとキスしていたことを思い出す。「忘れて」と乞うマリ。「忘れていいの?」と問いかけるヨウ。

にしても、「男だったら良かったのに」とか「女同士や兄妹関係なんて不幸になるのがデフォ」という考え方や、非承認の恋愛に「罪深くも激しい愛」という表象をナイーブに乗っける物語性は、あまりにも偏向的で陳腐ではないか?
とは言え、その陳腐さは、二人の関係が思い出とともに突然恋愛に変わるオチによって、ひっくり返されているのかもしれない。いや、分からんが。
ところで、このマリと神原さんが好みだった。ドキドキ。



無敵のプリンセス (光彩コミックス)

無敵のプリンセス (光彩コミックス)

  • あらすじ。

生徒会長にして学園のアイドル“姫”。姫の騎士として副会長・原田が鉄壁の守りを固める生徒会に、ある日、問題児の転入生・傭平が預けられることに…。ポヤヤンな姫の可愛さに思わずキスした傭平に対し、「キスをした以上、これからは恋人ですね」と姫。“恋人になる”って意味、本当に分かってる?天然お姫さんに振り回されながらも、次第に2人の距離は縮まって―――。

天堂まひるが贈るハートフル学園LOVE♥ストーリー、待望のコミックス化!!

マーカー。

BL。ロリショタ作品だった。攻め受けの体格差が好みなコンストラスト。…エロは、光彩にしちゃあ普通。

モトカノからは「可愛いい男女ならすぐ手を出すが、男の場合飽きたらすぐ捨てる」と揶揄される攻め(傭平)。このBLでは男同士の関係にことさらホモセクシュアルパニックが起こるわけではないが、よくあるバイセク観が攻めに投影されているようだ。しかし、当人たちは気にしてない模様。受け(姫)が自分の家族に対して攻めを「嫁」として紹介したときも、すんなり受け入れられている。(ちなみに嫁扱いに攻めは引いているし、受けの家族は「変わってる」と評価されてるみたいだね)

受けは、「誰かにキスされると恋人にならなきゃいけない」と考える人。受けにとって<キス>は恋人同士がするもので、ゆえにキスしたら→恋人→結婚という自己規範を実行しなければならないのだ。しかし、この場合の恋愛は「スキだから(能動)」ではなく、「そうすべきだから(受態)」している事なのだ。更に、受けにとって友人のスキと恋人の好きに違いはなかったとされる。だから攻めは自分に「本当に」惚れてほしいと悩む。「俺はキスしたから恋人やってるんんじゃねーぞ?お前が好きだから恋人になったんだ!」、と。
この作品では、受けの中に「本当の」恋愛感情を証明することが求められている。
で、それが証明されるのは、やはりセックスの現場だ。最初攻めに突然キスされたことで付き合いだした二人だが、他の男からのキスは嫌なのに、攻めからのキスはなぜか嫌じゃない。
他の男から強引にキスをされ、「キスをされたから、この男と恋人にならなければならない?では、攻めとは別れなければならないの?そんなのは嫌だ」みたいな。
そして、再び攻めとキスをして、セックスの際に「嬉しくてせつなくて 自分でもどうしようもない気持ち この特別な『スキ』」が「恋」であると、“気づく”のだ。
この物語では、受けがとりわけ天然と印象付けられているのだけど、““攻め/受け間における排他的且つ限定的な男同士のセックス(の受容)によって、二人の関係は特別な関係になるのだし、ゆえに恋愛感情の存在が証明される””…というロジックは、BLでは古典的でオーソドックスな表現だ。この受けの「キスした=恋人になる」という単純思考な天然さは、ややもすると、BLの古典ロジックがそもそも(姫のような)「天然ーーーつまり普通な論理思考ではない恋愛証明ーーー」であることを、逆説的に暴露している…とも言えそうだ。

しかし、やはり攻めは「夫」より「嫁」になるべきだし、式でも白無垢を着るべきだと、私自身も思う。