「ホライズンブルー」を読んだ。

こんばんはこんにちは。ご無沙汰しております。ええ、多くは語りますまい。怠惰かつ不誠実な人モドキですいません。今月も温かな拍手をいただいて、さすがに更新しなくてはと思い、簡単ではありますがレビューさせていただく次第です。



それでは拍手にお返事をさせていただきます。まず皆様、大変遅くなり申し訳ございません。いつか死んでお詫びします。

  • 1月20日に拍手くださった、なまえ〜様へ。

うおぉお!「好き」と仰って頂いて、ものすごくうれしかったです。こんなストレートに響く言葉はありません。・・・私の視点はおそらくスゴイありきたりなくせに精度が著しく低く、あるのはクドさ位だと常々思っています。それゆえ鋭く「こんな視点があったのか!」と唸らせる批評者の方々に劣等感を抱いていたのに褒めて頂いて、、、ちょっと感動しました(泣) なのに更新できず申し訳ありませんでした。ありがとうございました。
 

  • 2月21日に拍手くださった方へ。

拍手ありがとうございました!・・・実は今回リクエストにお答えして内田かおる『それではみなさん』をレビューしようと思っていたのですが、諸事情につき他作品を選ばさせていただきました。申し訳ありません。次回、、、もしかしたら4・5日後に更新できたら書くかもしれません。申し訳ございません・・・。それでは。
 

  • 6月10日に拍手くださった方へ。

拍手ありがとうございました〜。我侭なんてトンデモありません!私が筆不精なもので、お待ち頂いてる数少ない読者様になんとお詫びすればいいやら・・・。上で前述しましたが、私が不勉強なだけでおそらくLGスタディーズやクィアスタディーズでは私の出す視点は目新しいものでなかったり、もしくはもっと精度の高い形で発表されていると思います。もしかすれば、読者の皆様にも「既にある論文等のほうがより共感できる」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。・・・今一度考えてみるに、その上で私ができることと言えば、紛れもない私自身の鬱憤や怒りや戸惑いや不安や狂喜を自らの拙い言葉でつづることだと思います。そんなものでよければ、どうぞお付き合いください。
 
そのほか、拍手くださった皆様、本当にありがとうございました。

ではレビュー・・・というか雑感メモです。 

ホライズンブルー (幻冬舎ルチル文庫)

ホライズンブルー (幻冬舎ルチル文庫)

あらすじ。

朝に夕に凪の訪れる島で、志野宮緋は穏やかに暮らしていた。ある日、男が海へと身投げするのを目撃した宮緋は、行き掛かり上助けたその男―恵まれた体躯に整った容貌、年下なのに不遜な小早川崇臣と不本意ながら生活を共にすることに。小早川独特の存在感に心乱されつつも踏み込ませないラインを頑なに守るが、執着めいた激情を向けられ……?

帯はフェア関連の広告なのでスルー。
 

BLレビュー。

分かりやすく年下攻めー。助けた男はテライケメンであり不遜で図々しい上に無知(布団の敷き方や風呂の炊き方等)、そして心身共に不器用な攻めに受けはイーライラ。お説教のスイッチが入ってしまいます。そのくせいるだけでオーラを放つ「(存在自体が)うるさい」男だから始末に終えない(でも時折素直w)。受けは受けで、数年間日本を離れていた時期があってブームに疎く、攻めの有名ぶりを知らなかったし、興味もあまりないようだ。そんな二人だからツンケン言い争うのだけど、それが周囲からは仲良しにさえ見えてしまうという皮肉w
お話の初め、釣りで二人は賭けをします。攻めが自分でいっぱしに魚が釣れたら「馬鹿にしてすいませんでしたって謝れ!」と、挑戦を挑みます。受けも「出来なかったら(釣りを侮ったことを)漁師さんに土下座して謝れよ!」と返す。

舞台がのどかな島なのもあって、シビアなエピソードが描かれつつ癒しな雰囲気でお話は進みます。二人はどこか幼くて現在に立ち止まっていますが、しだいに島での生活に変化が訪れます。私自身長編シリーズの箸休めとして読んだけど、読みやすかったです。アレと共通項がいくつもあるので、併せて読むと楽しいかもv
 
以下ネタバレ。

nodada's eye.

これちょうど一年前の作品なんですよねぇ。ここまで寝かすことはないよなぁ。だけど、岬から海へ転び落ちた嵩臣が気絶する前につぶやいた「疲れた」の言葉に「命を粗末にするな」と憤慨する宮緋の気性が気に食わなかったのだから仕方がない。
とはいえそれもある種の同属嫌悪と過去への遺恨だったように思える。かつてカメラを片手に海外を共々渡り歩いたパートナーを失い、祖父母の住む島へやってきた宮緋は、故人を想いながら日記をしたためていた。いつも文末には「今も好きだよ」の一言。
いまや宮緋はすっかり島に馴染んでいたけれど、嵩臣の言うとおりどこか本気では笑い合えないでいた。引きずる過去を覆い隠すため、祖父母を言い訳にして島に残り続けるわけにはいかないと宮緋自身わかっている。
嵩臣も宮緋も、島をひとつの<休息地>とみなしてるようだ。世界を飛び回り学んだという宮緋なら分かるはずだけど、そうした視線自体が、宮緋が故人から教わった「先進国と途上国の不公平さ」などの現実とパラレルに近づく恐れはある。本土民が搾取の歴史(もしくは現状)を黙殺しながら沖縄や北海道にユートピア性だけをとりわけ見出す所作のように。いや、同じ搾取や差別の歴史があるかのような書き方は不適切ですね。しかし、資源の格差などがあるなか、都市部の人間が「のどかないいところ」として調子よく消費することの嫌らしさを感じます。映画だと『おもひでぽろぽろ』や『百万円と苦虫女』が鋭く描いていますよね。
宮緋は嵩臣の無知や傍若無人さをたびたび「都会人」らしさとして表象しつつ、島民(「田舎」)と対置させている。でもフツウに考えて嵩臣の気性はまず階級(芸能界トップ)からくるものだろう。表向き嵩臣が芸能人であると知らないフリをするため「芸能人らしさ」を「都会人らしさ」に言い換えてる部分もあるけど、宮緋は無意識に<島>と<都会>の両極端な区別を強調している。・・・いやいや、田舎は島だけじゃないし、都会人も色んな人いるよ?という気持ちの悪さ。
その上で妙な美化をするものだから、胡散臭い。
嵩臣は自分がテライケメンでなきゃ何の価値があるのかと自問するが、島での生活でお手伝いをして感謝されることに喜びを感じる。島のばあちゃんじいちゃんなら嵩臣の顔がたとえのっぺらぼうでも関係なく接してくれる、と宮緋は言うけど、そんな純粋培養されたじいちゃんばあちゃんなんていないと思うよ。(別にいてもいいけれど)
たとえば宮緋は自分で従妹に「そんな露出してオッサンにサービスするな」と注意していたように、男だからどんな風体でも気にしないで済むって側面は島でも同じ。それと一緒だ。
ま、案の定内陸暮らしの学生さんの「こんな台風に縁がないせいか、興奮してしまう」という語り等から、島(田舎の代表!)と都会の対立軸はズラされちゃってるのだけどw


そんな居心地のいい島で新たなものを見つけつつ、自分に向き合えないつらさを抱え込む二人が触れ合うことで成長を遂げ、やがて愛を実らせるというご定番ストーリー。
22歳まで「存在意義」だとか「生きる意味」について自問する暇もなく働き通しだった嵩臣を初めて叱ったり、世界の色んな分野の話を教えてくれる宮緋。・・・しかしなぜ宮緋の攻めが当て馬キャラの学生くんじゃなく嵩臣なのかと言えば、せいぜい同属嫌悪と彼自身の「うるさい」オーラ(天賦の才)しか理由がなさそうだけど、静かな生活を乱す嵩臣だから、・・・結局セックスはしなかったし恋人だったのかさえアヤフヤな宮緋と故人の関係を迷わず「それはやっぱり恋だよ」「あんたは半身みたいな恋人をなくしたんだ。つらくて当然だ」と認めてくれる嵩臣だから。
故人との関係ではないけれど、少し不定形な二人の<恋>。そんな彼らが一度は離れ離れになってからやっとお互いを好きだと想えるようになったのは、自然な流れだったのかもしれない。
そう思うのも、つい最近高遠さんの『楽園建造計画』を読み終わったからかもしれない。表現することを内向きな自分の捌け口ではなく、世界に対する自分の感情を昇華させる術に変える。その経過にこそ、楽園を造り得る光の筋があるんだと。
一年後、嵩臣は故人の思い出に己を重ね塗るだけの自身を携えて、宮緋を迎えに来る。

 「おれは、大人しく家で待ってたりしないからな。島を出たら、昔の仕事仲間と連絡を取って・・・・・・新しく始める」
 宮緋も、立ち止まっていた場所から歩き出す時がやってきたのだろう。
 どうしても手に取れずにいたあの傷だらけのカメラを、仕舞い込むのではなく大切に使いたいと、自然にこみ上げてくる。
 誰かの後についていくのではなく、自分自身が撮りたいと感じたものを写し出したい。
 月日の経過と共に、少しずつ薄れていく記憶が怖かった。でも、跡形もなく消えてしまうのではなく、宮緋の中で昇華していけるのだと思ってもいいのだろうか。
 宮緋を抱きしめたまま、小早川は抑えた声で訴えてきた。
 「あんたを、縛りつけられるとは思ってない。週に一度でも、同じ空間にいてくれたらいい。どこに行って、なにをしても・・・・・・俺が帰る場所と宮緋が帰る場所が同じなら、それだけでいいんだ」
 「おれが言ったとおりだな。・・・・・・いい男になった。これからも、もっと成長しろよ〔・・・〕一年に一度、日を決めてお前を撮るのも面白いかもな。後で並べたら、変化がよく分かる。・・・・・・人間を撮ってみようと思うのは、初めてだな」
 人にレンズを向けるのは、覚悟いる・・・・・・か。静かな目でそう言った彼が、頭に浮かぶ。
 その覚悟を、この男にだけは向けてみたいと思った。

そしてその成長物語が可能なのも、彼らの持つさまざまな社会的特権があってこそのものであると同時に、二人のパートナーシップは既存社会から踏みにじられるものだろう。
彼らがはたしてどんな居場所を造り出すのかは、きっと未知数だ。